ヒルネクロコップの日記

ペルーに2年半、メキシコに1年ほど住んでいたスペイン語学習者です。コロンビアやグアテマラにも滞在してました。 読書や旅行の記録、ラテンアメリカのニュースについて書いていきたいと思います。

2025年 印象に残った本(ラテンアメリカ以外)

2025年の読書記録の続きです。前回、前々回の記事はこちら。

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

 

今回はラテンアメリカ以外の本から。

ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(黒田寿郎、 奴田原睦明 訳)

主に1960年代に書かれたパレスチナ文学の名作短編集。イスラエル建国以降、パレスチナの個人個人にどんな悲劇が起きてきたのか、ミクロな視点からよくわかる作品。

パレスチナ人が体験してきた不条理への戸惑い、怒り、悲しみが一文一文から伝わってきてつらい。そしてこれが過去の話ではなく、さらに悲惨な事態がガザで現在進行形で起こっていることに救いがなく途方にくれるような気持ちになる。

岡真理『ガザとは何か』

アラブ文学・パレスチナ問題の第一人者による講演録。ガザは60年近く国際法違反の占領下におかれ続け、18年以上も国際法違反の封鎖状態が続いている。おととしのハマースの攻撃がなぜ起こったのかがとてもよくわかる一冊。

著者による切実な訴えが重い。

ガザ、それは巨大な実験場です。イスラエルの最新式兵器の性能を、実践で実験するところ。…食糧も水も医薬品も、辛うじて生きるのに精一杯という程度しか与えないでいたら、人間はどうなるか、その社会はどうなるか、何が起こるのか、という実験です。

非暴力で訴えても世界が耳を貸さないとしたら、銃を取る以外に、ガザの人たちに他にどのような方法があったでしょうか。反語疑問ではありません。純粋な疑問です。教えてください。

ガザは「野外監獄」などではなく「絶滅収容所」だという。読む前から覚悟はしていたが、同時代に起こっていることの惨さに心がダメージを食らう。知れば知るほど、なぜイスラエルがここまで非人道的な行為を普通にできるのかわからなくなる。

 

カナファーニーの『ハイファに戻って/太陽の男たち』の副読本として読み始めたが、カナファーニーの時代にわずかにあった希望も打ち砕かれ、絶望しか残らない感じ。ちなみに著者の岡真理さんはカナファーニーの小説からパレスチナ問題・アラブ文学を志したらしい。

大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』

大江の長編を読むのは『万延元年のフットボール』『懐かしい年への手紙』に次いで3冊目だが、その間をつないでくれるような本だった。小説というよりは、神話というか村の創世記を読んでいるかのよう。

 

一章一章が短く、文章も平易でめちゃくちゃ読みやすい。『同時代ゲーム』が難解すぎて読まれなかった反省から、この本を「少年たちにも読めるものに書き換えた」のがこの本だそう。前二作ほどの衝撃はなかったが、「壊す人」「オシコメ」「メイスケさん」など大江の"四国の森"用語が初めて理解できてよかった。

 

Mはメイトリアーク(女家長・女族長)、Tはトリックスターを表し、村の歴史の重要局面では必ずMとTがセットで活躍する。文化人類学者の山口昌男的だなーと思って読んでたら、実際70年代の大江は山口昌男に大いに影響を受けて執筆していたそうだ。『文化と両義性』は熱中して読んだとのこと。

 

そして祖母の昔話の語り口から『M/T』の語り方を見つけ出したというのがガルシア・マルケスの『百年の孤独』と同じで面白い。

 

同時代ゲーム』が読みにくそうなので『M/T』を代わりに読めばいいかと考えていたが、読み終わってみると『同時代ゲーム』はやはり重要で避けては通れない道だと感じ始めている。。

吉見俊哉『東京裏返し 都心・再開発編』

主に都心南部の街歩きガイドの本。社会学者の大家の吉見先生が案内するので面白くないわけがない。徳川軍による占領→薩長軍による占領→軍隊の街へ→米軍による占領という重層的な歴史が街を歩くとよく見えてくる。

 

さらには、戦後のオリンピックシティ化、西武・東急の二大電鉄資本による”占領”まで。カバーしている範囲が、渋谷、新宿、世田谷、目黒、港区など、比較的よく知っているエリアだったのでなおさら興味深く読んだ。本を読み、Googleマップでピンを打ち、実際に歩いてみるといろんな発見がある。

都心南部はもともと江戸時代に大名屋敷が多く、各藩が持っていた広大な土地が戦後に大学や公園、大使館、タワマンなどになったのも初めて知った。一方で歴史の痕跡をまるごと消し去る再開発の怖さも伝わってくる本だった。

柴田大輔『まちで生きる まちが変わる』

障害者の「自立生活」をテーマにした素晴らしい本だった。自立生活とは、障害者が家族の世話にもならず、施設にも入らず、「介助者」のサポートを受けながら自力で生活すること。人生のさまざまな場面で”自分で何かを選択できる”ようになるだけで、こんなに人生が彩り豊かになるのかと目から鱗が落ちまくりだった。

そして人工呼吸器を付けるほどの重度障害を持つ人でさえも自立生活をして自分の人生を切り開いているというのはすごい。

f:id:hirunecrocop:20251228160121j:image

この本は、それぞれの障害者の方の人生のストーリーを語りながらも、ちゃんと日本の制度や障害者運動の歴史が平易にわかる仕組みになっていて、福祉の入門書としても非常に優れている。めっちゃおすすめしたい。

手塚治虫きりひと賛歌

医師界のどろとろした権力争いと謎の風土病の解明をメインテーマとしつつ、日本の田舎の風俗、世界各国の貧困、差別、宗教などが複雑にからみ合う硬派な作品。読み出すと面白くて止まらなくなる。全4巻。

 

奇子』、『アドルフに告ぐ』、『陽だまりの樹』などの”大人手塚”の系譜に連なる作品で、読後感もすごい。手塚はやはり長編の名手だと再確認した。

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

2025年 印象に残った本(ラテンアメリカ実学編)

2025年読書記録の続きです。前回の記事はこちら。

hirunecrocop.hateblo.jp

今回は文学作品以外のラテンアメリカ関係の本についてです。

国本伊代『メキシコ2018〜19年』

メキシコの前大統領ロペスオブラドール(通称アムロ)政権の成立過程から就任1年までを追った本だが、メキシコ現代社会を広く分析していてめちゃくちゃ勉強になった。メキシコで学ぶ学生、駐在員などに超おすすめ。

f:id:hirunecrocop:20251227163757j:image

麻薬組織の拡大と治安悪化、格差拡大、深刻な汚職がどのように進行してきたのか、前アムロ政権がどう変革しようとしたのか、歴代政権とは何が違うのかなど、(筆者がアムロに肩入れしてるのを差し引いても)見通しを非常に良くしてくれる良書だった。しかも具体的なエピソード豊富で読みやすい。

現シェインバウム政権もアムロ政権からの連続体なので、去年の選挙でシェインバウムが圧勝した背景を理解するのにもすごく役立った。

 

芝崎みゆき『古代マヤ・アステカ不可思議大全』

去年メキシコの大学で古代メキシコ史の授業を受けていたが、その予習復習でめちゃくちゃお世話になった本。何度参照したかわからないくらい繰り返し手に取った。

メキシコでは電子書籍で読んでいたが、日本に帰って紙の本も購入した

古代メキシコはマヤやアステカだけでなく、いろんな民族が勃興してはすたれていき、時代も地域も含めて全体を理解するのはけっこう複雑だ。だがこの本は大学の授業に負けないくらい詳細な記述なのに、読みやすくて面白いという奇跡的な一冊だ。入門から専門的な内容まで楽しく導いてくれる優れた解説書。

 

カール・タウべ『アステカ・マヤの神話』(藤田美砂子訳) 

博識な著者がわかりやすい語り口でメソアメリカの神話を解説してくれる優秀な入門書。これまでバラバラだった知識を体系立って整理してくれた感じがして超ありがたい。おすすめ。

 

特に、どの神話がどの資料に基づいて書かれているのか、学問的にどこまで判明していてどこからわかっていないのか、など誠実に教えてくれて嬉しい。信頼できる語り手という感じ。

 

面白かった内容の一つが(神話とは関係ないけど)、1920年代の時点ではまだアステカ、トゥーラ、テオティワンの年代関係がほとんど解明されておらず、テオティワカンがアステカの都だと考えられていたこと。20世紀半ばにようやくこれらが整理されたらしい。思ったより若い学問分野だと知ってびっくり。

衝撃的だったのは、スペイン征服後に破壊されたアステカの偶像の数は2万個にのぼったとのこと。現代に残っている遺物だけでもこれだけユニークで魅力的なのだから、もし破壊されていなかったらどれだけ壮観だっただろう。つくづく残念。

 

あと、巻末の青山和夫先生の解説で驚いた箇所。

「今なお中学歴史の教科書に掲載される『世界四大文明』(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)は学説ではない。これは、考古学者の江上波夫が関わった高校世界史教科書に1952年に登場した教科書用語である。『世界四大文明』は、アメリカ大陸の二大一次文明(メソアメリカとアンデス)を排除する特異な文明観であり、欧米には存在しない。」

もともと何もなかった所から発生したオリジナルな文明(一次文明)は、メソポタミア、中国、メソアメリカ、アンデスの4箇所だそうだ。

 

丹羽昌一『天皇の密使』

20世紀初頭、メキシコ革命の動乱に巻き込まれた日本人移民たちを救うため、現地に派遣された若き日本人外交官の活躍を描いた小説。

実在の人物がモデルなので歴史小説なのかと思いきや、いろんな事件が起こってサスペンス的な展開で面白かった。1995年のサントリーミステリー大賞受賞作らしい。

f:id:hirunecrocop:20251227163631j:image

メキシコの現代史や日系人の歴史に興味のある人はきっと楽しめるはず。日露戦争前後、アメリカ入国を夢見つつ、約1万人の移民が日本からメキシコに渡った。鉄道建設や鉱山などで働いていたが、メキシコ革命が始まると混乱の中を生きることになる。その後、日本からの移民の主要な行き先はペルー・ブラジルへと移っていく。

小説だけどメキシコ移民史がよくわかる一冊だったので、自分の中では「文学」ではなく「実学」に分類。

 

あと本の内容とは関係ないけど、中古で買ったため、はさまっていた新刊案内が時代を感じるものでよかった。1998年10月。文春新書が創刊されたらしい。

 

北澤豊雄『混迷の国 ベネズエラ潜入記』

2019年にベネズエラに入った著者による貴重なルポ。『ダリエン地峡決死行』に続き、やはり実際に行った人の話はリアルで面白い。僕はコロンビア・ベネズエラ国境のククタまでは行ったことがあるのだが、そこから先の世界に連れて行ってもらった気分。

 

本書で出てくる現地人の言葉「報道されているベネズエラは半分は本当で半分は嘘」。経済破綻の中でも全員が全員、地獄のような生活を送っているわけではない。ただ、電気、水道などのインフラ系は本当に機能不全らしく、それは医療など生命に関わる分野に非常に大きなダメージをもたらしている。

f:id:hirunecrocop:20251227172028j:image

本の後半は「野獣列車を追いかけて」というタイトルのルポ。アメリカを目指し貨物列車に乗ってメキシコを縦断する中米移民たちに、列車の各駅を訪ねて話を聞くというもの。僕も去年、野獣列車に乗る移民へ食糧を渡すボランティアをしていたので、情景がありありと想像できて面白かった。

当時書いたブログ記事はこちら。

hirunecrocop.hateblo.jp

この本で、野獣列車の速度が以前より上がったというのは初めて知った。かつては屋根の上にも乗れたが、今や列車から落ちて手足を切断するリスクの高い危険な移動手段になったそうだ。僕がボランティアしていた移民施設でも両足をなくしアメリカ行きをあきらめたベネズエラ人の方がいた。

 

前半も後半も、前作『ダリエン地峡』に比べると何も起きないっちゃ起きないのだが、女性にだまされて金を盗れらるとか、移民支援施設に入ろうとして偽造身分証を見破られるとか、ちょっとしたトラブルはルポっぽくて面白い。

 

来年もたくさんラテンアメリカ関係の本を読んでいこうと思う。

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

2025年 印象に残った本(ラテンアメリカ文学編)

今年はあまり冊数を読めなかったが、印象に残った本は何冊もあった。特に今年はペルーのノーベル文学賞作家バルガス=リョサが亡くなったが彼の代表作を読めたのは大きな達成感だった。ツイッター(X)にも書いたが、以下の作品の感想を3回に分けて載せておこうと思う。

 

ラテンアメリカ文学マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』『チボの狂宴』『子犬たち』、ガブリエル・ガルシア=マルケスコレラの時代の愛』『大佐に手紙は来ない』『予告された殺人の記録

 

ラテンアメリカ実学:国本伊代『メキシコ2018~19年』、芝崎みゆき『古代マヤ・アステカ不可思議大全』、カール・タウべ『アステカ・マヤの神話』、丹羽昌一『天皇の密使』、北澤豊雄『混迷の国 ベネズエラ潜入記』

 

ラテンアメリカ以外:ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』、岡真理『ガザとは何か』、大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』、吉見俊哉『東京裏返し 都心・再開発編』、柴田大輔『まちで生きる、まちが変わる』、手塚治虫きりひと賛歌

 

まずはラテンアメリカ文学から。

 

マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』(旦敬介訳)

傑作だった。19世紀末に実際にあった信仰共同体とブラジル政府軍による戦いを描く。戦争の一部始終をさまざまな語り手がそれぞれの視点から語り、壮大な大河小説を読んでいるようだった。

 

特にコンセリェイロ(教団の指導者)が仲間を加えながら聖地を建設していく様は、本当にイエス・キリストがこうだったかと錯覚させるような巧みさ。使徒たちも社会から疎外された個性的な人々で感情移入させられる。でも最後には理想郷ではなく残酷で汚い現実に引き戻してくれるところもさすがリアリストのバルガス=リョサ

本屋に平積みされた『世界終末戦争』

バスガス=リョサの小説はいつも終盤にあっと言わせる仕掛けが用意されてるように思うが、今回は「カナブラーヴァ男爵」という登場人物だった。男爵についての旦敬介さんの解説も秀逸。ひとりで文明と野蛮の葛藤を抱え込んだ人物だった(巻末の旦さんの解説はブラジル内陸部の土地柄などすべてが面白い)。

 

ブラジル軍を率いたモライル・セザル大佐の記述もコミカルでめちゃくちゃ面白かったのだが、これはバルガス=リョサが『都会と犬ども』以来ずっと持ってきた軍部に対する批判・相対化・皮肉的な描写の流れなのかと思う。

今年は文庫版も発売されたが、僕は文庫が出る前にハードカバーで読んだ。上下2段、700ページという大作で、少しずつ読んでいたら2ヶ月以上かかってしまったが、この間ずっと戦争の中で生活していたような、教団の中にいたような気分だった。小説の中を生きていた感じ。かといって決して難しい作品ではなく、最後まで楽しくワクワクする読書体験だった。

 

マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』( 八重樫克彦・ 八重樫由貴子訳)

テーマはドミニカ共和国を1930〜61年まで支配したトゥルヒーリョ大統領の独裁とその暗殺計画。バルガス=リョサの良さが詰まったような作品でめっちゃ面白かった。

 

独裁者、側近たち、暗殺計画を練る人々などが多声的に語り、まるで事件の一部始終を目撃してしまったかのような読後感。重厚なのに読みやすく、ストーリー展開も巧みで、後半は一気読みした(登場人物の多さと名前の長さが唯一のネックか)。

 

タイトルの「チボ」はスペイン語でヤギの意味で、独裁者トゥルヒーリョのあだ名だった。巻末解説によると「性欲旺盛な男性」の意味もあるらしく、物語後半の伏線にもなっている。このあたりも巧みだ。

 

同じ独裁者小説でもガルシア=マルケスの『族長の秋』より圧倒的に読みやすく、個人的にはこちらの方が好み(『族長の秋』は宴会のオーブン料理の場面は大好きだが…笑)。ただし拷問や強姦のシーンもあるので、苦手な人は注意が必要かも。

 

バルガス=リョサはまず読者に読んでほしい自身の作品として『世界終末戦争』『チボの狂宴』『ラ・カテドラルでの対話』を挙げている。来年は『ラ・カテドラル』に挑戦してみたい。

 

 

マリオ・バルガス=リョサ「子犬たち」(鈴木恵子訳)

バルガス=リョサの名作短編。かつて日本語で読んだが、今回はスペイン語版(タイトルは「Los cachorros」)に挑戦した。

 

舞台はペルー・リマの高級住宅街。金持ちでスポーツ万能、自信にあふれる少年がある日、凶暴な犬に襲われて局部を噛みちぎられる。その後の彼の波乱に満ちた悲しい人生を親友4人の語りを中心に多声的に描いた話。

 

以前に日本語で読んだときもめちゃくちゃ面白かったが、スペイン語で精読するとまた新たな発見が。まず、文体がすごく実験的。一つの文章の中で「地の文」と「会話文」が引用符(” ”)もなしにどんどん変わり、しかも主語も発話者も入り乱れるので、集中していないと誰が何を言ったのかすぐ分からなくてなってしまう。

右が今回読んだスペイン語

ペルーのスラングも多様されるため、途中から鈴木恵子さんの翻訳を参考にしながら通読。(あらためて翻訳者のすごさを思い知る…!)一方、その実験的な文体がすごく効果的で、あたかも親友たちの会話の輪の中に自分がいてまさに今起こっていることを目撃し、体験しているような気分になる。

 

そして文がとてもリズミカルで、ラップのような、「かっぱかっぱらった」などの遊び歌を聴いているような音楽的な心地よいリズム感。日本語訳巻末の豊﨑由美さんの「『子犬たち』鑑賞エッセイ」を読んでびっくりしたのだが、バルガス=リョサ自身が講演の中で「目からではなく耳から入ってくる音楽のような語り口にしたかった」と言っていたそうだ。まさにその音楽に乗せられて読んでいたことになる。

 

あと個人的には、舞台となっているミラフローレス(高級住宅街)は僕がリマに住んでいたときに語学学校があった場所で、物語に登場する地名がめっちゃわかる。主人公が車で暴走するハビエル・プラド通りとか、アンガモス通りとか、聞いただけで懐かしさで死にそうになった。ペルー居住経験者はぜひ読んでほしい。

 

ガブリエル・ガルシア=マルケスコレラの時代の愛』(木村榮一訳)

ガルシア=マルケス後期の名作。主人公の青年が初恋の人を思い続け、52年経って老人になってから恋を成就させる話。ユーモアたっぷりの語りがうまく、文章も読みやすくて最後まで面白かった。

 

当初は「愛」を描いた小説かと思って読み始めたが「老い」がメインテーマだった。老人同士の恋愛関係の醜い部分まで含めて讃歌として描くのはすごい。1985年の作品で、このときガルシアマルケスは57歳。

ガルシア=マルケスが描かれたコロンビアの紙幣

ユーモアのセンスでいうと作品の途中、ウルビーノ夫妻が熱気球で旅をする場面、バナナ農園の上を通りかかった時に虐殺された多数の労働者たちの死体を上空から目撃する。さらりと描かれたシーンだけど『百年の孤独』と一瞬だけ時空がクロスするのが面白かった。

カルタヘナ旧市街の街並み

海賊対策の巨大な要塞

小説の舞台のコロンビアの街カルタヘナには以前に1ヶ月ほど滞在したことがある。カリブ海に面した中心部にはコロニアル調の美しい街並み、海賊を撃退してきた要塞、かつての貴族の豪邸なども並ぶが、ちょっと内陸側に入ると、じめじめしてゴミだらけの圧倒的に巨大な貧民街が広がっている。

 

そんな自分が体験したカルタヘナと比べながら、1900年前後にタイムスリップして小説の中のカルタヘナを体験するのはちょっと贅沢な楽しみだった。ちなみに妻にあらすじを話すと(晩年の主人公の少女への恋愛も含め)「きもい」という反応だった。笑

 

ガブリエル・ガルシア=マルケス「大佐に手紙は来ない」(野谷文昭訳)

初期の名作中編。軍人年金の支給通知を15年も待ち続ける大佐。どんどん飢えていく夫婦。妻に言われて家具を売ろうとするが、大佐のプライドが許さない。それどころか、自分たちの食糧より闘鶏用の軍鶏を育てることを優先してしまう。夢を捨てられない夫と、現実的な妻のコミカルだけれど切ないストーリー。面白かった。

f:id:hirunecrocop:20251227202454j:image

最初、主人公の「大佐」は『百年の孤独』のアウレリャノ・ブエンディア大佐かと思って読み始めたが、かつてブエンディア大佐のもとで働いた別の大佐だった。

ちなみに全然関係ないが、僕の妻はラテンアメリカ文学には全く関心がないのだが、自宅のポストを見て何も入っていないと「大佐に手紙は来ない」と言うようになった。笑

 

ガブリエル・ガルシア=マルケス予告された殺人の記録』(野谷文昭訳)

10年ぶりくらいに再読。前回読んだときよりもいろんな背景知識がついたおかげで3倍くらい面白く読めた。『大佐に手紙は来ない』『悪い時』に連なる系譜のコロンビアのスクレを舞台にした作品。

 

この小説に登場する、不幸にも結婚できなかったバヤルド・サン・ロマンとアンヘラ・ビカリオの後日譚から派生して生まれたのが『コレラの時代の愛』。野谷文昭さんは1983年時点ですでにこの夫婦について「新たな物語の萌芽が認められる」と書いていて、『コレラ』(1985年)の誕生を予言していてすごい。

今年はNETFLIXで「百年の孤独」を全編見たこともあり、自分の中でけっこうガルシア=マルケス熱が再燃した年だった。

ガルシア=マルケスの作品はこれで『百年の孤独』『族長の秋』『コレラの時代の愛』『大佐に手紙は来ない』『予告された殺人の記録』『エレンディラ』『わが悲しき娼婦たちの思い出』『落葉』を読んだことになる。

来年はさらに理解を深めるため対談集『グアバの香り』を読まねば…!!

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

死者の日ツアーの拠点「モレリア」 オレンジに彩られた世界遺産の街

前回の記事では死者の日の墓地ツアーについて書いた。

hirunecrocop.hateblo.jp

今回はその拠点となるミチョアカン州モレリア(Morelia)の街について簡単に紹介したい。死者の日(11月1日・2日)の前後にはオアハカに行ってしまう人が多いと思うが、モレリアでも様々なイベントが行われ、街歩きをするだけでもけっこう楽しいのだ。

コロニアル調の重厚で落ち着いた街並みはそれだけで魅力的なのだが、死者の日前後にはさらに楽しめる場所が増える。ほとんど写真を貼り付けていくだけになってしまうが、簡単にモレリアの死者の日の魅力を紹介したい。

世界遺産モレリアの街並み

そもそもモレリアとはどんな街なのか。地球の歩き方から引用してみる。

メキシコ・コロニアル都市でも最古に属するモレーリアには、歴史的に重要な建造物も多く、1991年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。赤みを帯びた石材で造られた歴史地区は、古都ならではの趣が感じられる。16世紀になって、スペイン人はこの地にあったタラスコ王国を征服し、1541年に町の建設を始めた。創建当時はバジャドリーと呼ばれていたが、メキシコ独立運動の英雄ホセ・マリア・モレーロスが生まれた地であることを記念して、1828年にモレーリアと改名された。また、ミチョアカン州は先住民が作る民芸品でも有名なところ。州都なので、周辺からカラフルでユニークな特産品が集まり、それらのショッピングも楽しめる。(『地球の歩き方 メキシコ 2019-2020』より)

200ペソ札(メキシコ国立銀行ウェブサイトより)https://www.banxico.org.mx/billetes-y-monedas/billete-200-pesos-familia-g.html

モレリアの名前の元となったホセ・マリア・モレロスメキシコの200ペソ札に印刷されている右側の人物だ。いつも頭にバンダナを巻いているから一目でわかる。左側のイダルゴ神父と並んで独立革命の英雄で、いろんな絵画や彫刻に登場するから覚えておいて損はない。モレリアには彼の生家もある。

 

ちなみにミチョアカン州はタラスコ王国時代から交易で栄えていた場所で、スペイン征服後のモレリアは各地の銀山への食料供給地として発展したらしい(『ラテンアメリカを知る事典』より)。

 

メキシコシティからモレリアは高速バスで4時間ほど。僕たちが行った2018年はちょうど映画「リメンバーミー(Coco)」が公開されたあとで、バス移動中にスペイン語版の映画を見ることができた。

f:id:hirunecrocop:20251213173932j:image

オレンジ色に彩られた街

街に着くと、美しいカテドラルにまず目を引かれる。100年以上も歳月を費やして建てられ18世紀に完成したそうだ。ここを中心に碁盤の目のように街が整備されているのでわかりやすい。

f:id:hirunecrocop:20251213165229j:image

死者の日には「センパスーチル(Cempasúchil)」というメキシコ原産のオレンジの花で街全体が彩られる。日本だとマリーゴールドと呼ばれることが多い。死者たちが迷わずにこの世に帰って来られるように道しるべの役割を果たすとされる花だ。スペイン征服前から栽培され、儀式や医療用として使われていたそう。ほんのりと香りがしてとても気持ちがいい花だ。

f:id:hirunecrocop:20251213213750j:image

f:id:hirunecrocop:20251213165231j:image

f:id:hirunecrocop:20251213165427j:imagef:id:hirunecrocop:20251213213829j:image
f:id:hirunecrocop:20251213213841j:image
f:id:hirunecrocop:20251213213757j:imagef:id:hirunecrocop:20251213213801j:imagef:id:hirunecrocop:20251213213859j:image

死者の日パンと砂糖のガイコツ

この時期ならではの食べ物も楽しめる。何といっても有名なのが「死者の日パン(Pan de muerto)」。オレンジの皮が練りこまれていて、ほんのり柑橘系の味がする甘いパンだ。メキシコ人たちもこのパンが大好き。2本の骨と頭蓋骨を組み合わせた形をしている。

f:id:hirunecrocop:20251213171625j:image

臨時の露天なのかわからないが、ガイコツの形のお菓子やチョコが所せましと並んでいる場所もあった。これらは「砂糖のガイコツ(Calavera de azúcar)」という民芸品で、亡くなった人の名前を額に書いたりして飾るらしい。どれもかわいくて、眺めるだけでも楽しめる場所だ。

f:id:hirunecrocop:20251213170059j:image

f:id:hirunecrocop:20251213170200j:image

f:id:hirunecrocop:20251213170226j:image

f:id:hirunecrocop:20251213170137j:image

おがくずの絨毯

街中を歩いていると、地面に砂絵のようなものを作っている人たちが多いことに気付く。これは「おがくずの絨毯(Alfombra de aserrín)」という名前のメキシコや中米でよく作られる伝統的な芸術作品だ。砂ではなく木材のくずや粉が使われていて、公園や学校などパブリックスペースのいたるところに趣向を凝らした作品がたくさん飾られている。おがくずの絨毯もセンパスーチルと同じく、帰ってくる死者が迷わないように道を教える意味があるらしい。

リメンバーミー

フリーダ・カーロ

画家ホセ・グアダルーペ・ポサダの「カトリーナ(骸骨の貴婦人)」

ミチョアカン州で有名な「モナルカ蝶」

小学校で華やかな学芸会

たまたま通りかかった小学校に入ると、生徒たちがみな仮装している。僕たちが多少スペイン語が話せるとわかるとたちまち人気者(?)になってしまい、「一緒に写真を撮って!」とか「ダンスを見ていきなよ!」と言われる。ちょうど死者の日の学芸会の時間に立ち寄ったらしい。観覧の親たちも集まっていた。ダンスは小学生とは思えないほどレベルが高く、楽しい時間をおすそ分けしてもらった。

f:id:hirunecrocop:20251213165246j:image

f:id:hirunecrocop:20251213165421j:image
f:id:hirunecrocop:20251213165439j:image

高校生たちの本格的なパレード

小学生だけでなく高校生も仮装して公園に集まっていた。しばらくすると街の中央通りで高校生たちのパレードが始まり、街全体がお祭りムードに。カトリーナメイクも衣装もめちゃくちゃレベルが高くて本格的なパレードだった。

f:id:hirunecrocop:20251213214259j:image

f:id:hirunecrocop:20251213214244j:image

f:id:hirunecrocop:20251213214231j:image
f:id:hirunecrocop:20251213214224j:image

モレリアの美しい夜景

夜になると景色が一気に死者の日っぽくなる。センパスーチルの花もライトに映えて美しい。

f:id:hirunecrocop:20251213170239j:image

f:id:hirunecrocop:20251213170028j:image

f:id:hirunecrocop:20251213170222j:image

f:id:hirunecrocop:20251213170129j:image

市場の前でセンパスーチルの花を枝からとる作業をしているおばちゃんたちに出会い、しばらくお話しして仲良くなった。f:id:hirunecrocop:20251213170031j:image

ミチョアカン州の治安と最近のニュース

モレリアは治安が良く落ち着いた街だ。ただ、ミチョアカン州全体となると治安はけっこう悪い。もともとミチョアカン州は「ファミリア・ミチョアカーナ」や「テンプル騎士団」などの麻薬カルテルが牛耳っていた。最近ではそれらが弱体化し「ハリスコ新世代カルテル」が最大勢力となっているが、全部で12~17くらいの組織が縄張り争いをしているとされる。ミチョアカン州は世界最大のアボカド産地として有名だが、その売り上げがカルテルの資金源にされていたという問題もある。

web.archive.org

また、先月(2025年11月)にはミチョアカン州第二の都市ウルアパンで、市長が死者の日のイベント中に殺されるという事件も起きた。モレリアの市庁舎やメキシコシティの中央広場でも、現政権に治安回復と正義の実現を求める大規模な抗議デモが起こっている。

www.cnn.co.jp

外務省の海外危険情報では、モレリアとパツクアロはレベル1(十分注意)なので問題ないが、ミチョアカン州のそれ以外の場所はレベル2(不要不急の渡航は止めてください)になっているので行かない方が良さそうだ。

外務省の危険情報(黄色がレベル1、オレンジ色がレベル2)
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo_264.html#ad-image-0

モレリアへのアクセス

メキシコシティからモレリアまでは所要4時間。ETNという高速バスが便利。

メキシコシティの北バスターミナルと西バスターミナルから出ています。

👇ETN公式サイト

ETN Turistar | First-Class Bus Travel Across Mexico

👇北バスターミナル

https://maps.app.goo.gl/LUr3pzy2HZnSBRrw8

👇西バスターミナル

https://maps.app.goo.gl/WJxybMmBASouyCDg8

モレリアの路上で売られていた絵画

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

 

メキシコ死者の日の思い出 おすすめの墓地など

11月1日、2日はメキシコの死者の日だ。

この時期が近付くと毎年、SNSからきれいな写真がたくさん流れてきて、懐かしい気持ちになる。

僕は2018年、ペルーに住み始めたばかりのころ、妻と一緒に死者の日のメキシコを旅行したのだが、そのときの光景はいまも深く記憶に刻まれている。

特に夜中に訪れたいくつかの墓地は、この世のものとは思えないほどの美しさで、「本当にこれは今自分が見ている景色なのだろうか」と夢見心地で過ごしたのを覚えている。

そのときのことを写真を見返しながら振り返ってみようと思う。

ツアーの拠点 世界遺産の都市モレリア

僕たちが訪れたのはモレリア(Morelia)という世界遺産の街だ。

メキシコシティからバスで4時間ほど、コロニアル調の街並みが美しい都市で、ミチョアカン州の州都になっている。

この街自体、とても気持ちのいい街で大好きになったのだが、そのことは別の記事に書こうと思う。

カテドラルが美しいモレリア中心部

11月1日の19時、モレリア中心部のツアー会社から、パツクアロ湖周辺の墓地と湖に浮かぶ島に行けるツアーに出発した。

パツクアロ湖はオアハカと並んで死者の日に観光客が訪れる二大観光地のうちの一つだ。

モレリアから車で1時間半ほどの場所にある。

特に湖にある島の一つ、ハニツィオ島の死者の日は世界的に有名だ。

モレリアとパツクアロ湖の位置関係

パツクアロ湖周辺

ツアーには個人宅の祭壇、町の墓地、そしてパツクアロ湖のパカンダ島という島が目的地に含まれていて、料金は一人49ドル。

ハニツィオ島はさすがに観光客でごった返すかと想像し、あえて別の島に行くツアーを選ぶことにした。

 

プレペチャの伝統を受け継ぐ華やかな祭壇

グループツアーのバンに乗り込み、最初に訪れたのはサンタフェ・デ・ラ・ラグーナ( Santa Fe de la Laguna)という町。

先住民族プレペチャの人々の伝統を守り続けている場所だそうだ。

町を歩くと、センパスーチル(Cempasúchil)という名前のオレンジの花がいたるところを彩っている。ほのかに甘い香りのする、死者の日を象徴する花だ。

一般の方の家に立ち寄らせてもらい、オフレンダ(ofrenda)と呼ばれる祭壇を見せてもらう。

最初の家は、部屋がまるごと飾り付けられ、家族が集まって先祖の霊と過ごせるようになっている。

f:id:hirunecrocop:20251029222642j:image

2軒目に寄らせていただいた家の祭壇には、亡くなったおじいさんが好きだったという果物がたくさん捧げられていた。

僕たちもツアーガイドからの指示で事前に市場で果物を購入していたので、お供えをさせてもらった。

 

幻想的な墓地 地元の人々の交流

次に訪れたのは、アロクティン(Arócutin)という町。夜の23時すぎに到着した。

町の中心部に墓地があり、住民たちはここで死者の霊とともに一晩を過ごすという。

墓地の入り口にいたかわいい子どもたち

墓地に一歩足を踏み入れると、息をのむ光景が広がっていた。

無数のろうそくの明かりの中に映える、センパスーチルの花で飾りつけられたお墓の数々。

その前に座って語り合う、伝統衣装を身にまとった人々。

亡くなった家族の魂が戻って来るのをここで待ちつつ、一晩を過ごすのだという。

(※写真はすべて許可を得て撮っています)

その年(2018年)に公開された映画「リメンバーミー」の世界に迷い込んだようであり、そんな表現をするのが失礼に感じるほど美しい場所だった。

(もともとこちらがモデルなのだから、「リメンバーミーの世界にいる」と感じるほうが倒錯している。)

f:id:hirunecrocop:20251029222845j:image

僕はこのときまだスペイン語を勉強し始めたばかりだったが、たどたどしい言葉で「どのように一晩過ごすのか」などと聞くと、皆丁寧に説明してくれた。

この地域はプレペチャという先住民族が住む場所で、高齢の方の中にはスペイン語を話さない人もいた。

伝統衣装を着た若い女性二人が僕たちに話しかけてくれた。

今日一日ここにいて、外から来た人にプレペチャの人々の風習をボランティアで紹介しているのだという。

スペイン語を話す日本人が珍しかったので話しかけてくれたのだそうだ。

日本のお盆の話などをしているうちに仲良くなり、素敵な首飾りをプレゼントしてくれた。

このときもらった首飾りは今も大切にとってある。

ミニチュアのほうきは悪いエネルギーをはらい幸運を呼び込む意味があるらしい。

メスカルが飲める一口サイズの陶器も付いている。

墓地の中には教会があり、2階に登ることができる。そこからの眺めもまた壮観だった。

 

火の玉ホッケー

墓地から外に出ると、地元の人たちによるホッケーの試合が行われていた。

ただのホッケーではなく、火のついた球が使われている。

まず男子たちが試合をし、その後は女子たちの試合。歓声が上がり、めちゃくちゃ盛り上がる。まるで暗闇の中で魂が行き来しているかのようだ。

スペイン語ウィキペディアによると、この球戯は先住民族プレペチャの人々によって3500年も前から行われている儀式なのだという。

ボールは太陽に見立てられ、宇宙と神々の秩序を保つという意味があるらしい。

布とエネケン(ロープに使われる植物)からボールを作り、燃料を染み込ませて火をつけるそうだ。

👇動画だとこんな感じ。


www.youtube.com

 

思わぬトラブル たどり着けない島

ここまでは順調なツアー行程だったが、ここから思わぬトラブルに巻き込まれた。

僕たちのツアーはパツクアロ湖の島に行くために船着き場を目指していたのだが、渋滞に巻き込まれ一向に車が動かない。

この年は「リメンバーミー」が公開されてから初めての死者の日で、メキシコ人も外国人も大勢がこの地方にやってきて、モデルになった場所の一つハニツィオ島を目指していたのだ。

夜中の3時が過ぎても渋滞は解消されず、ガイドが僕たちツアーグループに決断を迫った。

このまま島を目指すか、あきらめて別の場所に行くか。

ツアーグループの多数決で、島をあきらめて別の墓地に行き先を変えた。

島の墓地はツアーのハイライトの一つで誰もが楽しみにしていたので、車内には沈鬱で重苦しい空気が充満していた。

 

怪我の功名 再び幻想的な墓地へ

朝4時、ツルムタロ(Tzurumútaro)という別の小さな町の墓地に到着した。

墓地に入って再び度肝を抜かれた。

先ほど訪れた墓地よりもさらに広大な土地に、オレンジの花とろうそくの灯火の幻想的な光景が広がっていたのだ。

360°カメラで撮った墓地

すでに明け方近くになっていたので人の姿はまばらだったが、一つ一つのお墓が丁寧に飾り付けられていて、それぞれの家族の愛情の深さが伝わってきた。

当初のツアー内容には含まれていなかった場所だが、30分ほど静寂に包まれた美しい場所に滞在することができた。

 

翌日に訪れたハニツィオ島

翌日、リベンジというわけではないが、僕たちは日中にハニツィオ島を自力で訪問してみることにした。

島は完全に観光地化されていて、みやげ物店からの声掛けも多く、個人的にはあまり好きな雰囲気ではなかった。

雨が降っていたこともあって、墓地もあまりきれいには感じなかったというのが正直なところだ。

行けていないからわからないが、もしかしたら僕たちが行くはずだったパカンダ島も同じような状況だったのかもしれない。

前日、島ではなく別の墓地に行けて結果的にはラッキーだったと今では思っている。

 

まとめ 現地へのアクセス、ツアー会社など

死者の日にメキシコを訪れることを検討している人には、パツクアロ湖周辺の墓地ツアーも候補に入れてみることをおすすめします。後悔しない景色が待っているはず。

 

メキシコシティから拠点となる都市モレリアまでは所要4時間。

ETNという高速バスが便利。

メキシコシティの北バスターミナルと西バスターミナルから出ています。

👇ETN公式サイト

ETN Turistar | First-Class Bus Travel Across Mexico

👇北バスターミナル

https://maps.app.goo.gl/LUr3pzy2HZnSBRrw8

👇西バスターミナル

https://maps.app.goo.gl/WJxybMmBASouyCDg8

 

墓地を巡るツアーが満員になる恐れもあるので、僕たちは9月半ばくらいからツアー会社とコンタクトをとっていました。

申し込んだツアー会社はこちら。7年前の情報なので変わっていることも大いにあり得ます。

👇コンタクトをとった仲介のツアー会社(グアダラハラ

https://www.facebook.com/ExploraMexicoTours/?locale=es_LA

👇実際に集合したツアー会社(モレリア

https://maps.app.goo.gl/YqiU8gzSk39sZBpw5

 

👇最初に訪問した町「サンタフェ・デ・ラ・ラグーナ( Santa Fe de la Laguna)」(個人宅で祭壇を見た町)はこちら。

https://maps.app.goo.gl/8JB4d3h67eX5yrVb9

 

👇次に訪問した「アロクティン(Arocutín)」という町の墓地はこちら。

https://maps.app.goo.gl/EukZJuWk1ecLWG8V8

 

👇最後に訪問した「ツルムタロ(Tzurumútaro)」という町の墓地はこちら。

https://maps.app.goo.gl/w2Zz7QHR4Q4W6SRN8

 

僕は行っていないが、パツクアロ湖周辺をグーグルマップで「Panteón(墓地)」と検索すると、上記以外にも良さげな墓地がたくさん出てきます。

墓地は神聖な場所なので、フェイスペイントをしないこと、写真撮影の許可をとることをおすすめします。

死者の日は非常に混み合うので、ホテルもツアーも早めに予約するのが吉です。

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp

 

ラテンアメリカ関係の記事・個人的な備忘用

個人的に思い出深いラテンアメリカ関係の記事。NHKの記事は油断していると消えていってしまうのが残念。自分のための備忘用・保存用ですが、興味がある記事があればどうぞ。消えてしまった記事はアーカイブサイトから引っ張ってきています。

「女性を集めて不妊手術をしろ」 "国策”がもたらした悲劇 ~ペルー・フジモリ政権の強制不妊手術~ 

1990年代、ペルーのフジモリ大統領は人口の増加を抑えるため「希望する人への無料の不妊手術」を政策として打ち出した。ところが政府から医療機関に手術数のノルマが課されたため、次第に手術は強制となっていった。結果として約27万人もの女性が不妊手術を受け、同意があったのはわずかとされている。しかもターゲットとされたのは貧困層の先住民女性たちだった。彼女たちは現在も後遺症に苦しんでいるが、いまだに謝罪や補償は行われていない。現在の我々にも大きな教訓を残してくれる事件。

web.archive.org

環境問題や誘拐事件まで? アボカドブームの“不都合な真実” ~メキシコ~

美容や健康にいいとして世界中でブームになっているアボカド。日本も世界8位のアボカド輸入国だが、最大の生産地メキシコでは様々な変化が起こっている。これまで「極貧」とされた地域で生活が改善され、アボカド長者が次々と生まれる一方、麻薬カルテルが資金源として目を付けた。脅迫や誘拐が横行し、農家たちが「自警団」を作って対策をとっている。さらにアボカド畑を作るために森林が切り開かれたり、大量の水が違法に使われるなどの環境問題も起こっている。身近な食べ物の裏にある構造を考えさせられる。

web.archive.org

ノーベル平和賞の"その後"   元ゲリラの暗殺やまず…社会復帰に立ちはだかる壁  ~コロンビア~

コロンビアでは左翼ゲリラ組織FARCと政府との間で50年以上も内戦が続いてきたが、2016年に歴史的和解を果たした。しかしその後、FARCの社会復帰プログラムは進まず、武器を捨てた元戦闘員たち300人以上が暗殺される事態になっている。いったん戦争や内戦が起こると、停戦して終わりではなく、社会の傷が癒えるまでに長い長い年月がかかることを教えられる。

web.archive.org

チリ産サーモンに“待った”!?  サーモン生産大国で何が

世界の寿司人気に押され、爆発的に需要が高まっているサーモン。世界中で争奪戦となっている。一方、生産地のチリでは養殖場が次々と新設され、パタゴニアの自然保護区や先住民居住区の中にまで拡大。生態系の変化も引き起こし、ボリッチ大統領が規制を打ち出すほどに。かつて日本が国際協力の一環としてチリに持ち込んだサーモン養殖の現在地。

web.archive.org

カブトムシ違法取引で日本人が逮捕?  「エキゾチックペット」消費大国との批判も ~ボリビア・ブラジル~

ヘラクレスオオカブトなど中南米原産のカブトムシは日本で大人気。特に「ムシキング世代」による需要が高まりオークションでも高値が付けられる。そんな中、南米からカブトムシの密輸を試みた日本人が空港で相次いで逮捕されている。南米のほとんどの国ではカブトムシの捕獲や輸出は法律で禁止されているが、「ワイルド個体」(野生の個体)を欲しがる日本人が絶えず、違法取引のネットワークができているのだ。ボリビアではサタンオオカブトが乱獲され絶滅危惧種に指定されるなど生態系の破壊も起こっている。日本のムシ業界の闇。

web.archive.org

地方競馬を支える ベネズエラ人の厩務員   “日本での仕事は大きなチャンス”

マドゥロ独裁政権による国家運営が失敗し、経済が破綻したベネズエラ。すでに国民の4分の1(約800万人)が国外に脱出した。実は、わずかではあるが日本にも避難民は来ており、その多くは全国の競馬場で厩務員として働いている。給料やレースの賞金の大半を母国に残した家族に仕送りしつつ、人手不足に悩む日本の地方競馬を陰で支えている。

web.archive.org

www3.nhk.or.jp

日本発  世界の障害者の生き方を変える“自立生活革命”とは ~コスタリカ

「障害者の自立生活」とは、障害を持つ人が介助者(ヘルパー)を付けることで自分で意思決定しながら生活を送ること。1970年代のアメリカを皮切りに、先進国では公費で介助者を派遣する自立生活の制度が作られてきた。実は、日本は自立生活の分野で世界をリードする存在で、2016年にコスタリカが日本をモデルに法律を制定。その後、コスタリカをモデルとする制度を作ろうという運動がラテンアメリカ全体に広がっている。日本の障害者もJICAも世界ですばらしい貢献をしていることに驚かされる。

www3.nhk.or.jp

 

メキシコの名門大学院「エル・コレヒオ・デ・メヒコ」を訪問した

去年、念願かなってメキシコの名門大学院「エル・コレヒオ・デ・メヒコ(El Colegio de México)」を訪問することができた。

日本語だと「メキシコ大学院大学」。略称で「コレヒオ」とも呼ばれる。

コレヒオは、1940年に設立された国立大学で、ラテンアメリカ最高峰の人文社会科学系の研究教育機関の一つだ。

f:id:hirunecrocop:20250811222515j:image

僕は社会学者の見田宗介真木悠介)の本が大好きで、何度も登場するコレヒオに憧れを抱いてきた。

見田宗介は1974~75年にかけて客員教授としてここで教えた経験を持つ。

1970年代はメキシコと日本の交流が盛んで、見田の他にも大江健三郎鶴見俊輔山口昌男など錚々たるメンバーがコレヒオに招かれて教えている(それぞれ客員教授として半年〜1年間ほど)。

その後は、見田宗介の弟子にあたる吉見俊哉さんや上野千鶴子さんも、ここコレヒオで教鞭を取った。

憧れのコレヒオに到着

メキシコシティの南西部、街の喧騒からはちょっと離れたトラルパンという地区にコレヒオはある。

実は1976年に中心部に近いローマ地区から移転したため、見田宗介大江健三郎が教えていた頃とはキャンパス自体は別のものになっている。

f:id:hirunecrocop:20250811222441j:image
f:id:hirunecrocop:20250811222502j:image

今回、我々を受け入れてくれたのは50年以上にわたりコレヒオで教鞭をとってきた田中道子教授だ。メールをお送りすると、訪問を快諾してくれた。

超エリートの院生たち

田中先生は交通渋滞に巻き込まれ到着が遅れるとのことなので、田中先生のもとで学ぶ3人のメキシコ人院生が出迎えてくれた。

それぞれ、宮沢賢治三島由紀夫、日本の外交史について研究しているといい、日本語も流暢だ。

案内してくれたコレヒオの院生たち

コレヒオには7つの研究センターがあり、田中先生が所属する「アジア・アフリカ研究センター」は日本研究も盛んなのだという。

コレヒオの入学試験の倍率は20倍(!)とのことで、300人受けて15人しか受からないらしい。院生の彼らはスーパーエリートというわけだ。

そもそもコレヒオ・デ・メヒコとは

見田宗介はコレヒオについて、本の中でこのように書いている。

メキシコ最大の大学であるUNAM (メキシコ国立自治大学、通称「メキシコ大学」)が、学生数20万というマンモス大学であることと対照的に、エル・コレヒオ・デ・メヒコは、よい意味でもわるい意味でも非常に「エリート的」といわれる少人数教育に徹底している。私のいたCEAA(アジア・アフリカ研究センター)のばあい、教授の数よりも学生数の方が少ないという学科も多い(日本研究科も然り)。実際の教育・研究活動の軸をなすのは、各分野の教授たちが交互に研究発表を行なって討論する「スタッフ・セミナー」(週1回)であり、そこに学生も出席して自由に質問し批判するということによって、研究と教育機能が統一されている。

定本 真木悠介著作集 Ⅳ「南端まで 旅のノートから」106頁

 

コレヒオの起原は、「1930年代のスペイン人民戦線内閣がフランコに敗れたときに、亡命してきた知識人たちによってつくられた」らしい。

そのため、見田はコレヒオの特徴として、

①教授陣や学生にも外国ルーツの人が多く、コスモポリタン的な性格を持つ大学院であること

②ある種の知的な「ラディカリズム」の雰囲気があること

を指摘している。

 

見田が在籍していた頃からすでに50年が経っているため現在も同様なのかはわからないが、当時はメキシコの中でも国際性や自由な雰囲気が際立った大学であったようだ。

見田がコレヒオを心から気に入っていた様子が文章から伝わってくる。

 

一方、ラテンアメリカ研究者の国本伊代さんによると、コレヒオは

制度的革命党(PRI)政権時代には政府のシンクタンクの役割を果たし、政府との間に緊密な関係があった。

国本伊代『メキシコ2018~19』180頁

という側面もあるらしい。

ラテンアメリカ最大級の図書館

院生たちが日本研究科やその他の教室などに続き、図書館を案内してくれた。

4階建てで、蔵書数は85万冊以上。ラテンアメリカ最大級の図書館だという。

特に文学、歴史学など人文科学に強く、ラテンアメリカ関係の研究者は必ず訪れなければいけない場所と言われているそうだ。

10年ほど前にスペースが足りなくなり、新館を増築したらしい。

図書館入口のカウンター

広大な書庫

f:id:hirunecrocop:20250811224808j:image

図書館は4階建てで新館と旧館が渡り廊下でつながっている

コレヒオで教えた大江健三郎の作品

鶴見俊輔は1972~73年にコレヒオで教えた。そのときの経験をもとに書いたエッセイが『グアダルーペの聖母』

政治学者・石田雄も1971~72年にコレヒオで教え『メヒコと日本人』を書いた

子どもが遊べるファミリースペースもある

コレヒオの重鎮 田中道子先生

図書館を見学し終わり、食堂でお昼ご飯を食べていると田中道子先生が到着された。

専門は日本史・日本政治で、メキシコにおける日本研究をリードされてきた方だ。

コレヒオでは1973年から日本通史の授業を担当されている。

田中道子先生(右)

その他、社会運動や農民運動、フェミニズム・女性運動史にも非常にお詳しい。

2018年には上野千鶴子さん、井上輝子さんをコレヒオに招いて、メキシコと日本のフェミニズムを比較したシンポジウムを開いている。

wan.or.jp

 

壮絶なトラテロルコ事件

田中先生は歴史の証人のような方だ。

なんと1968年の「トラテロルコ事件」も当事者として経験されたのだという。

トラテロルコ事件とは、メキシコ政府が学生運動を弾圧するため、メキシコシティーのトラテロルコ広場に集まった学生たちに無差別に発砲して虐殺したというものだ。

いまだに全容が解明されておらず、死者は数百人にのぼるという説もある。

メキシコオリンピックが開かれるわずか10日前の出来事だったが、メキシコ政府は事件を隠蔽し、国際社会が虐殺を知るのは時間が経ってからだった。

ja.wikipedia.org

 

田中先生は事件の前年(1967年)にメキシコにやってきて、コレヒオに修士として入学する。それ以前はモスクワの大学に通っていたが、そこでメキシコ人と知り合い結婚したためだ。

メキシコで大学の教師をしていた夫は1968年10月、トラテロルコでの学生集会に参加。

当日、殺害は免れたものの、出動した軍・警察に逮捕される。

田中先生は行方不明となった夫を探すも、どこに連れていかれたのかわからない。

夫の兄と一緒に各地の死体安置所や収容所を探し、翌日になってようやく収監されている夫を発見したという。

結局、釈放されたのは事件から3年3か月もの月日が経ってからだったそうだ。。

 

👇こちらにも詳しい記事がある。

discovernikkei.org

 

鶴見俊輔の話

田中先生は1960年代後半からコレヒオに在籍しているだけあって、多くの著名知識人と交流を持った。その一人が哲学者の鶴見俊輔だ。

鶴見俊輔
https://book.asahi.com/article/14927706より引用

鶴見は1972~73年にコレヒオで教鞭を取ったが、田中先生は鶴見の助手を務めていたのだという。

当時、鶴見は韓国の詩人・金芝河(キム・ジハ、軍事政権下で体制批判の詩を書いて投獄)の解放を求める活動をしていた。

田中先生は、鶴見に「金芝河解放のためにオクタビオ・パス(メキシコの作家・外交官)の署名をもらってきてほしい」と頼まれたのだという。

田中先生はパスの自宅まで行き、無事に署名をもらうことができたそうだ。

登場人物が著名な人ばかりで、すごいエピソードだ…。

 

👇鶴見俊輔のメキシコでの体験は『グアダルーペの聖母』という本にまとめられている。

 

見田宗介の話

見田宗介(「現代思想」2016年1月臨時増刊号より)

社会学者の見田宗介は1974~75年にかけてコレヒオで教えた。

見田が赴任する前年度、田中道子先生は日本に論文の資料を集めに行く必要があり、一時帰国をした。

そのときすでに見田が翌年度の客員教授になることが決まっていたので、コレヒオの学長かセンター長から、「見田先生にコレヒオでの仕事について説明してきてほしい」と頼まれたそうだ。

田中先生は新宿のタカノフルーツパーラーで見田と会い、実際にコレヒオの仕事について説明したほか、その後のメキシコ渡航のお世話もしたという。

 

著作を読むとよくわかるが、見田はメキシコでの体験から多大な影響を受け、作風も大きく変わることになる。

田中先生の見立てでは、見田は家族(妻と2人の子ども)と一緒に来ていたので、メキシコ社会と直に接する機会が多く、メキシコに影響を受けたのはそのためではないかと話していた。

田中先生は見田宗介にかなりいい印象を持っている様子だった。

 

👇真木悠介見田宗介)『南端まで~旅のノートから~』にはコレヒオをはじめ、メキシコ社会の分析、グアテマラボリビア・インドなど各地の旅のエピソードが書かれていてとても楽しい本。

 

大江健三郎の話

小説家の大江健三郎は1976年に半年間コレヒオで教える契約をしていたが、日本に残した息子の体調不良のため、3か月ほどで帰国を余儀なくされた。

このあたりのエピソードは大江の小説『懐かしい年への手紙』の中に登場し、実際に「コレヒオ・デ・メヒコ」という言葉も出てくる。

ラテンアメリカ文学研究者の柳原孝敦さんも言及しているが、大江のメキシコ滞在は決して楽しいものではなく、苦悩に満ちたものだったらしい。

『懐かしい年への手紙』には、主人公が週に1回の講義のほかは家にずっと引きこもり、「中年期を迎えてのアイデンティティーの危機」を感じながら、悶々と過ごす様子が描かれている。

ノーベル文学賞を受賞した頃(1994年前後)の大江健三郎(中央)と田中道子先生(右)
ジャーナル | ディスカバー・ニッケイより引用

大江がコレヒオに来たとき、田中先生は米プリンストン大学の博士課程に在籍していた。そのため、コレヒオでがっつりかぶっていたわけではないという。

ただ、大江が日本に帰国する直前、一緒に旅行に出かけたそうだ。

メキシコ州の山中の巡礼路(先住民文化とキリスト教が融合した場所)に大江の希望で連れて行ったところ、興味深そうにしていたという。

『懐かしい年への手紙』には「マリナルコ」という地名が出てくるので、恐らく旅行に行ったのはそこだろう。

ただし大江は小説の中でマリナルコの「アステカのピラミッド」を間違えて「インカのピラミッド」と書いている。

 

👇去年、エル・コレヒオ・デ・メヒコが開催した大江健三郎の追悼シンポジウム


www.youtube.com

 

その他、文化人類学者・山口昌男(1977-78にコレヒオに赴任)の話など、僕にとっては伝説上の人物とも言える人々の話が聞けて、なんとも充実した幸せな一日だった。

田中道子先生、ありがとうございました。

田中先生を囲んで

図書館の前で

購入したコレヒオグッズ。どれもデザインがかっこいい。

hirunecrocop.hateblo.jp

hirunecrocop.hateblo.jp