ヒルネクロコップの日記

ペルーに2年ほど住んでいたスペイン語学習者です。 読書や旅行の記録、ラテンアメリカのニュースについて書いていきたいと思います。2023年秋からメキシコに来ました。

大江健三郎『万延元年のフットボール』をドキドキしながら読んだ

今年3月に亡くなった大江健三郎さんの『万延元年のフットボール』を読んだ。

大江さんの代表作を読みたいと思い数年前に買っていたのだが、なかなか読むタイミングがなく、今回ようやく読むことができた。

結果、めちゃくちゃ面白かった。

特に後半は怒涛の展開で、ドキドキしながらページをめくる手が止まらなかった。

数年前、スペイン語のオンライン授業でコロンビア人の先生とガルシア=マルケスの話をしていたとき、「そういえば大江健三郎ってどんな作品を書くの?」と聞かれ、「しまった、ほとんど知らないぞ…」と焦った記憶がある。

恥ずかしながら大学時代に短編「死者の奢り」を読んだだけで長編を一つも読んだことがなかったからだ。

今回まだ1作を読んだだけだが、「大江健三郎、すげえ…」と少々興奮している。

さすがノーベル文学賞作家、「世界文学」の名に値する作品だと感じた。

あらすじ

1960年代、安保闘争の時代。

主人公の僕(蜜三郎)と妻、それに弟の鷹四は、東京を離れ兄弟が生まれ育った四国の村に滞在することを決める。

村の有力者から実家の蔵を売ってほしいと頼まれ、その話し合いをするためだ。

兄弟と妻はそれぞれの事情で心に傷を負っているのだが、弟の鷹四は村で暮らすうち若者たちの人望を集め、みるみるリーダー格になっていく。

妻も東京時代の酒浸りの生活から脱し、活力を取り戻す。

主人公の蜜三郎だけが村と距離を置き、疎外された存在となっていく。

そんな中、鷹四が村の若者たち(フットボールチーム)を率いて、村を経済的に支配する有力者(スーパーマーケットの天皇)を拉致し、スーパーを略奪する事件を起こす。

その熱狂は、村に伝説のように語られてきた100年前の一揆(万延元年=1860年)の再来のようで、鷹四は一揆の指導者と自分を重ね合わせる。

鷹四が村を支配しようとする中、彼が村の女子を強姦殺人する(したとされる)事件が起こる。

血にまみれて家に帰ってきた鷹四からは、蜜三郎の妻との関係や、かつて亡くなった知的障害の妹の秘密など、衝撃的な独白がなされる。

そしてさらなる銃声が・・・。

 

ざっくりとこんな感じだろうか。

第1章だけ異様な読みにくさだが、四国の村に行ってからは、ドロドロとしたやばい物語に引きこまれていく。

登場人物の面白さ

村に語り継がれる100年前の一揆の話と、鷹四が引き起こす現代の熱狂とが巧みに重なり合うストーリーも面白いのだが、登場人物にも民話的な面白さがある。

主人公の蜜三郎は翻訳業をしているインテリで、常に冷静で現実的、そして悲観的でもある。

一方の鷹四は行動的で、理想主義者で、村をまとめ上げるリーダーになる素質を備えている。

この兄弟はまるで陰と陽、月と太陽、理性と欲望のような、二元的で対称的な関係だ。

読者は明らかに兄の「蜜三郎」を「大江健三郎」の分身として読むように仕向けられている。

ところが、読み終わってみると鷹四もまた、大江健三郎のドロドロとした欲望の分身のような気がしてくる。

閉鎖空間の停滞した秩序をぶっ壊し、混沌を作り出したいという欲望。

この「蜜三郎」と「鷹四」という対称的な二人の登場人物は、その後の大江作品でも名前を変えて繰り返し登場するようだ。

 

「ギー」は柳田国男から!? 大江健三郎民俗学

『万延元年』を読み終わってから、少しだけ大江健三郎について勉強している。

最近、本屋で追悼雑誌を読んでいたら、小説の中に出てくる「隠遁者ギー」の名前は「柳田国男」の「ギ」から取ったと書いてあった。

また、大江は文化人類学者の山口昌夫とも交流があったらしいし、小説の中にも民俗学者折口信夫が登場する。

やはり早くから民俗学とか文化人類学の知見を小説の中に意識的に取り込もうとしていたようだ。

1960年代の四国の村に起こる一連の事件、つまり鷹四による共同体の死と再生の儀式は、どこか民話的で、万延元年の一揆のように今後も語り継がれていくことを予感させる。

そういえば、民話的な語りで世界を驚かせたガルシア=マルケスの『百年の孤独』と大江の『万延元年のフットボール』が同じ1967年に出版されているというのも、すごく興味深い。

 
村上春樹1973年のピンボール』はパロディ!?

さらに本屋で柄谷行人大江健三郎の対談本をぱらぱら見ていたら、面白いことが書いてあった。

柄谷さんによると、『万延元年』は大江以後の重要な作家たち、特に中上健次村上春樹に大きな影響を与えたそうで、村上春樹1973年のピンボール』は『万延元年のフットボール』のパロディだと。

大江自身にとっても『万延元年』は一つの到達点だったようだが、どうやら他の作家にとっても重要な意味を持つ、時代を象徴する作品だったようだ。

 

せっかく愛媛に住んでいたのに…

私は就職してから4年間、愛媛に住んでいた。

仕事のため日夜、長い長い”四国の森”の中を車で走り抜けていた。

だが当時は大江健三郎さんの作品の面白さを十分に知らず、生家のある内子町・大瀬を訪れることもなかった。

罪滅ぼしのために、大江作品をこれからどんどん読んでいきたい。

 

hirunecrocop.hateblo.jp