メキシコでは2月〜4月くらいにかけて、ハカランダという花が咲く。
特にメキシコシティは街が紫色に彩られ、つい足を止めて写真を撮ることが多くなる。

実はハカランダは、1920年代に日本人造園家の松本辰五郎が桜の代わりとしてブラジルから持ち込んだものだ。
今ではメキシコシティの季節の風物詩としてすっかり定着し、「メキシコ桜」とも呼ばれている。

僕は去年メキシコにいるとき、スペイン語の授業の中でハカランダに関する美しいエッセイを読む機会があった。
書いたのは一昨年亡くなったメキシコの有名な女性コラムニストだ。
僕が去年撮ったハカランダの写真を載せつつ、そのストーリーを日本語に訳してみようと思う。(原文はこちら。La Jornada: Mar de Historias)

「一輪の花」 クリスティーナ・パチェーコ
I
今朝、中庭に出たとき、地面に小さな青い花が落ちているのを見つけた。
私の庭のハカランダが花を咲かせるには、ちょっと早すぎるような気がした。
いつもはだいたい2月の終わりごろになって、つぼみが出始め、それらが絡み合って、まるでレースでできた天蓋のような、まばゆいほどの姿をつくる。
それを見るたび、私はいつも、ある老夫婦のことを思い出す。

その夫婦は、私が今も新聞を売っている公園へ、よく来ていた。
私は新聞だけじゃなくていろんなものを売っているけれど、特に売れるのはジュースや水のボトル、ヨーグルト。早朝から運動に来る人たちが買っていく。
その時間帯には、高齢者はほとんど来ない。
だからだろう、今日青い花を見て思い出したあの夫婦は、私の印象に特に強く残っていたのだ。
夫は痩せて猫背で、いつも帽子をかぶり、同じスーツに杖をついていた(かつての裕福な時代の名残りだったのかも?)。
妻は夫より少しだけ背が高く、髪を編み、肩にはピンク色のショールをかけていた。

II
私の売店の前には、御影石のベンチがあって、そこに町の誇りでもあるハカランダの木が日陰を作っている。
私たちはこの木が街で一番美しいと思っている。
観光客は写真を撮りに来るし、近くの芸術学校の生徒たちは、この木をひたすらスケッチしている。
すぐそばに教会もあるから、新婚夫婦たちはこの木を背景に結婚写真を撮ることもある。

きっと、あの老夫婦は公園の近くに住んでいたのだろう。
私は、彼らがハカランダの木陰のあのベンチにやって来るのを見るのがとても好きだった。
今でもあのベンチは彼らのものだと思っている。
夫がクロスワードパズルを解いたり新聞を読むのに没頭している間、妻はショールを編んでいた。
あるとき、彼女が私のもとに水を1本買いに来てくれて、友だちにプレゼントするショールなのだと話してくれた。
でも、私はちょっと疑っていた。
きっと生活費の足しに、近くの店で編み物を売っていたんじゃないかなと思う。

III
ときどき、1〜2週間、彼らが公園に来ないことがあった。
「寂しい」とまでは言わないけれど、あのベンチがぽっかり空いているのを見ると、なんとも言えない不安やもの悲しさを感じた。
そして、また二人が姿を現すと、私は隠しきれないくらい嬉しかった。
彼らも私に微笑みかけて、短い優しい言葉をかけてくれた。

もっと話してみたいと思ったこともあったけど、私は声をかけることができなかった。
ふたりの間にある、静かで深い親密さを壊してしまうような気がしたから。
言葉は少なかったけれど、ふたりはよく微笑み合い、ときには子どものようにこっそりと手を触れ合っていた。
あれもまた、長い年月を共に生き、なんでも分かち合い、愛情を込めた愛称で呼び合い、お互いの不安や夢を語り合ってきた証なのだろう。
彼らの夢って何だったんだろう?
家を持つこと?
子どもが帰ってくること?
失った力を少しでも取り戻すこと?
…知ってみたかったな。

こうして思い出してみると、私はふたりのことを、朝の日差しの中で見えるごく一部の習慣以外、何も知らなかった。

IV
ふたりが最後に公園に来たとき、私は決して忘れられない短い場面を目にした。
それは2月のはじめだったと思う。ハカランダにやっと新芽が出始めた頃。
私は水飲み場に行く途中、ふたりがいつも座っていたベンチのそばを通った。
すると、そのとき、ハカランダの木から一輪の花が落ちた。
おそらくその年最初の花だったのかもしれない。

老人はその花を拾い、しばらく見つめたあと、それを妻の手にそっと渡して言った。
「ほら、君にあげるよ。今日は君の誕生日だから。僕は忘れてたけど、ハカランダは覚えてたみたいだね」。
彼女が驚いた様子で目を輝かせ、笑顔でこう言ったのが見えた。
「まあ、あなたって人は。こういうことを思いつくのは、あなただけね。約束する。この花は私の大事なものとして、ちゃんと取っておきますね」。
それからふたりは、私に挨拶もせずに去っていった。

そして今朝。
私が中庭で見つけた、あの小さな青い花びらの軽やかな色合いが、あのときの光景を思い出させた。
とても小さくて壊れやすい花なのに、それが持つ記憶の力はすごい。
その美しさが、やがて訪れるセマナ・サンタ(聖週間)——厳かで、眠たげで、喪に服したような時期――を告げると同時に、あの老夫婦をも思い起こさせる。
私は、彼らについて何も知らないけれど、二人が愛し合っていたことだけは確かだと言いたい。
親愛なる友、ホセ・ルイス・マルティネス・Sに捧ぐ



