ヒルネクロコップの日記

ペルーに2年ほど住んでいたスペイン語学習者です。 読書や旅行の記録、ラテンアメリカのニュースについて書いていきたいと思います。2023年秋からメキシコに来ました。

ピノチェト時代の虐殺・拷問の記憶 ~チリの「記憶と人権の博物館」に行った~

4~5月に行ったチリ、アルゼンチン、ペルー旅行では印象に残る場所がいくつもあった。

まず書き残しておきたいのが首都サンティアゴで訪れた「記憶と人権の博物館」だ。

来月(2023年9月11日)にはチリのピノチェト将軍によるクーデターからちょうど50年となるが、この博物館では軍事独裁政権時代(1973年~1990年)に行われた虐殺や人権侵害について知ることができる。

いわゆる「ブラックツーリズム」として大変勉強になる場所だ。

記憶と人権の博物館 入口
被害者は約4万人

1973年9月11日、チリでは陸軍のピノチェト将軍がクーデターを起こし、わずか1日で左派のアジェンデ政権を崩壊させた。

ピノチェト将軍

アジェンデ大統領はサンティアゴ中心部のモネダ宮殿で自殺した。

その後、政治的理由による逮捕、監禁、拷問、殺害など、市民への多大な人権侵害が行われることになる。

軍事政権の約17年間で、強制失踪・処刑による犠牲者は3216人、監禁や拷問の被害に遭った人は3万8254人と公式に報告されている。

正確で冷静な展示

この「記憶と人権の博物館」は2010年に開館した。

1973年9月11日に何が起きたのか、軍部によってどのように拷問や処刑が行われたのか、被害者家族たちが正義と補償を求めてどのように戦ってきたのか、などについて体系的に知ることができる。

展示はすべて、1990年に軍事政権が終わった直後につくられた「真実和解委員会」による報告書や、2010年・2011年にあらためて調査が行われた際の「第2次報告書」など、公式の発表に基づいている

その語り口はとても冷静だが、一つ一つの事実にインパクトがあり、心に重く響いてくる。

実際に拷問を受けた被害者の証言ビデオもあって、人間が人間に対して行った行為の醜さを存分に実感できる展示だ。

犠牲者たちの写真と慰霊の空間

すべての展示の中で最も目をひくのが、「不在と記憶」と題されたスペースだ。

壁一面に亡くなった方の顔写真が掲げられていて迫力がある。

手前にはタッチパネルがあり、死亡・行方不明者の氏名が検索できる。

例えばある人の氏名を入力すると、その方の顔写真や生年月日、死亡日、死亡場所、どのように亡くなったのか、など詳細が表示される。

そして「献灯」マークを押すと、画面上で鎮魂のろうそくを2日間灯すことができる。

家族にとっては亡き人に祈りを捧げる場所であり、一般市民にとっては不条理な愚行を二度と繰り返さないと誓う、記憶と慰霊の空間だ。

処刑されて亡くなった方すべてを掲示するのは無理なので、定期的に顔写真の入れ替えを行っているそうだ。

入口に立つのぼりには「1973-2023 クーデターから50年」「二度と繰り返さない」と書かれている

私が行ったときには午後5時からガイドによる館内ツアーが行われていた。

地球の歩き方」には載っていないが、チリについて深く知りたい人、歴史に興味がある人など、ぜひ訪れてほしい場所だ。

goo.gl

www.youtube.com

 

人間よりも健康かもしれない‟マテ茶鶏”!? ~マテ茶の健康効果について~

5月にアルゼンチンから帰ってきたときは、「日本でもマテ茶を飲むのを趣味にしよう!」と意気込んでいたものの、実際にはなかなか時間がなくて飲めていない。

ブエノスアイレスの日曜市で買ったマテ茶カップも寂しがっているだろう。

自分を奮い立たせるため、マテ茶の健康効果について少しだけ調べてみたのでメモしておきたいと思う。

ブエノスアイレスで買ったマテ茶カップ
マテ茶の成分と健康効果

前の記事にも書いたようにマテ茶は「飲むサラダ」と言われていて、アルゼンチン人は肉食が多いので野菜不足を補う意味もあるようだ。

まず豊富に含まれている成分だが、ポリフェノールカテキン類、フラボノイド類、それにカルシウム・鉄分・マンガン亜鉛などのミネラルが挙げられるらしい。

 

そして主な効能だけで以下のようなものがあるとされている。

「気分転換、ストレス解消、鎮静効果、発ガン予防効果、胃潰瘍予防効果、動脈硬化・心疾患予防効果、血栓症予防効果、高血圧症予防効果、虫歯予防効果、アレルギー予防効果などである。」

(アルベルト松本著『アルゼンチンを知るための54章』より)

すばらしい、飲むしかない!と思わせる内容だ。

実際に、以前日本で開かれた食品展示会でこうした結果が示されると、アルゼンチン企業関係者も驚いていたほどだそうだ。

調べたのは日本の研究者

なぜ日本の食品展示会なのかというと、マテ茶の科学的な研究は、実はアルゼンチンよりも日本の研究者によって積極的に進められたらしい。

その第一人者が城西大学薬学部の和田政裕教授で、マテ茶の効能に関する著書も出されている。

item.rakuten.co.jp

和田教授がマテ茶の効能を調べようと思ったきっかけもユニークだ。

南米諸国の人々は、日本人に比べると何倍もの肉類を消費していますが、野菜類とりわけ緑黄色野菜の摂取量は驚くほど少ないのです。

誰の目にも、アンバランスな食生活としか映りませんが、糖尿病や循環器系疾患をはじめとする生活習慣病の発症率が特に高いというわけではありません。

それはなぜなのか。

この事実が私がマテ茶に興味をもち、研究を始める発端となりました。

(和田政裕著『機能性と栄養に優れた南米のマテ茶』まえがきより)

マテ茶を食べて育った健康そうな鶏肉

先日、近所のスーパーで「マテ茶鶏」という鶏肉を発見した。

販売している日本ハムの公式の説明によると「マテ茶鶏は、ブラジルの広大な土地で栽培されたマテ茶を飼料に配合して育てられた鶏です」ということらしい。

マテ茶鶏® - 鶏肉 | 日本ハム

だが説明はこの一言のみで、マテ茶を食べさせることでニワトリにどのような効果があるのか、あるいは鶏肉の質にどのような影響があるのかについては全く分からない。

きっとマテ茶のおかげで人間よりも健康に育ったニワトリなんだと想像する。

けれども逆に、すくすくと育ったニワトリを殺して食べてしまうのが申し訳ないような気もする。

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アマゾンの森の中までマテ茶を持ってくるアルゼンチン人たち

先日の南米旅行で印象に残った景色の一つが、アルゼンチン人たちがマテ茶を楽しむ姿だ。

とにかく、どこへ行っても飲んでいる。

公園でくつろぐ人、買い物する人、売店の店員、オフィスで働く人・・・。

何度か「え、こんなところまでマテ茶・・・?」と驚くこともあったので、以下に書いてみたいと思う。

そもそもマテ茶とは

マテ茶は南米発祥のお茶で、丸みをおびたカップに茶葉を入れてお湯をそそぎ、金属製のストローで飲む飲み物だ。

アルゼンチン大使館の説明によると、「マテ茶は日本人にとっての緑茶のように、アルゼンチンの人たちにとってなくてはならない生活に密着したお茶」だそうだ。

https://ejapo.cancilleria.gob.ar/es/node/32146

ミネラルや鉄分が豊富なことから「飲むサラダ」とも呼ばれている。

もともとは先住民のグアラニー族の人たちが飲んでいたもので、アルゼンチン以外にもパラグアイウルグアイ、ブラジル南部で飲まれているらしい。

(アルベルト松本『アルゼンチンを知るための54章』より)

 

今回の旅行で初めてマテ茶を飲んでみたが、苦くておいしい。はまりそうな味だ。

 

イグアスの滝 マテ茶を飲みながら観光する人々

マテ茶を飲むアルゼンチン人の姿が印象に残った場所が、イグアスの滝だ。

イグアスの滝は「世界三大瀑布」の一つで、アルゼンチンとブラジルの国境にある。

多くの観光客が訪れるアルゼンチンの名所の一つだ。

大迫力の滝を見るためには、国立公園に入ってから何キロも遊歩道を歩かなければいけないのだが、多くのアルゼンチン人(と思われる)の家族連れがマテ茶セットを持ち歩いている。

マテ茶セットとは、マテ茶の容器、茶葉、そしてお湯をいれたでかい魔法瓶だ。

ただでさえ疲れる道中なのに、さも当然かのように重たいセットを運んでいる姿に軽い衝撃を受けた。

マテ茶セット。これよりも大きな魔法瓶を持ち歩いている。https://www.cheka.com.ar/notas/ver/companero-tradicionalより引用。

アルゼンチン人たちにとって、観光旅行にもマテ茶は必須のアイテムらしいのだ。

日本人の緑茶愛に比べると、はるかにアルゼンチンのマテ茶愛の方が勝っている。

(ちなみに、イグアスの滝のあるミシオネス州は特に茶葉の生産が盛んらしく、それも影響しているのかもしれない。)

イグアスの滝にあった巨大なマテ茶のレプリカ
アマゾンの森の中まで・・・!?

さらに驚いたのが、ペルーのイキトスに行ったときのことだ。

2泊3日でアマゾンのジャングル探索ツアーに参加したのだが、宿泊先のロッジでアルゼンチン人のご家族と一緒になった。

なんとこのご家族もマテ茶セットを持ってきていた。

アルゼンチンからわざわざ、ペルーのジャングルの中まで…。

しかも、旅行中になくならないよう3キロほどはあろうかと思われる巨大な茶葉の袋を携帯している。当然、でかい魔法瓶も。

アマゾンのロッジは扇風機がないと寝れないほどの蒸し暑さだ。

それにもかかわらず、ご家族は悠然と熱いマテ茶を飲んでいる。

その一貫した情熱に、えも言われぬ感銘を受けた。

 

マテ茶を愛する発電所パラグアイ人たち

もう一つ、マテ茶が印象に残っている光景がある。

パラグアイ・ブラジル国境にある「イタイプー水力発電所」に行ったときのこと。

発電所の管理センターはパラグアイ人とブラジル人が半々の人数で業務を行っているのだが、パラグアイ人スタッフだけがマテ茶を飲みながら仕事をしていたのだ。


www.youtube.com

この動画の手前にいて優雅にマテ茶を飲んでいるのがパラグアイ人。

マテ茶を持たず、奥で忙しく仕事をしているのがブラジル人だ。

ただそう見えただけかもしれないが、パラグアイ人の方がゆったりと、お喋りを楽しみながら働いているような印象を受けた。

 

どうやらマテ茶を愛しているのはアルゼンチン人だけではないらしい。

仕事中にマテ茶をたしなんでいる姿を見ると、人生を謳歌しているような気もしてうらやましくなったりもした。

 

大江健三郎 『万延元年』以外の作品もめっちゃ読みたくなった

ムーさんが紹介する大江健三郎おすすめ作品

万延元年のフットボール』を読んだあと、大江健三郎の他の作品についても知りたいと思い、NHK「100分de名著」やYouTubeの解説を見たりしている。

中でもわかりやすかったのが、「文学YouTuberムー」さんという方の動画だ。

大江作品のほとんど全てを読んだというムーさんは、長編34作を「初期」「中期」「後期」に分類して紹介している。

(ていうか34作もあるのか…!!)

 

初期:  『芽むしり仔撃ち』〜『個人的な体験』まで

中期: 『万延元年のフットボール』〜『燃えあがる緑の木』まで

後期:『宙返り』~『晩年様式集』まで

 

中でも、もっとも充実してすごい作品ぞろいなのが中期だそうだ。

youtu.be

ムーさんの解説を聞いて、『懐かしい年への手紙』『M/Tと森のフシギの物語』あたりの代表作は絶対読みたくなった。

「多くの人が初期の短編『死者の奢り・飼育』だけで読むのをやめてしまうが、あまりにもったいない!」とムーさんは力説する。

 

大江作品に繰り返し登場する「四国の森」の系譜

NHK「100分de名著」のテキスト、小野正嗣大江健三郎   燃えあがる緑の木』も勉強のために読んでみた。

この本によると、大江作品の面白い特徴として、

・海外の文学作品を自作に取り込んで物語を展開する

・大江さん自身の過去の作品さえも取り込まれ、物語の材料になる

ということが挙げられるようだ。

『万延元年』の舞台となった「四国の谷間の村」は、その後の作品にも少しずつ姿を変えながら何度も登場する。

その系譜は、『万延元年』→『同時代ゲーム』→『M/Tと森のフシギの物語』→『懐かしい年への手紙』→『燃えあがる緑の木』と続いていくそうだ。

それぞれ前作を巧みに取り込みながら、そして同じような名前の登場人物を少しずつ変化させながら、新しいテーマの物語を紡いでいく。

僕はまだ『万延元年』を読んだだけだが、この本に登場した暴動の主「鷹四」が、『燃えあがる緑の木』では救世主「隆」となって再登場するようで、すごく読んでみたくなる。

 

新宿・紀伊國屋大江健三郎コーナーがすばらしかった

僕は本屋を散歩するのが趣味なのだが、大江さんの本が大々的に特集されているのをほとんど見たことがない。

谷崎潤一郎三島由紀夫、阿部公房、村上春樹などの作家と比べると、長編小説の認知度という点ではどうしても劣ってしまう。

(代表作は?と聞かれて、上記の作家たちはすぐに挙げられるが、大江健三郎はそうでもない気がする。)

大江さんはノーベル文学賞まで受賞しているのに、「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」などのルポの方が有名で、戦後民主主義的な文脈で世間に認知されている、ちょっと不思議な小説家だと感じる。

 

だが先日、新宿の紀伊國屋書店の大江さんの追悼コーナーに行くと、大江作品が一挙に陳列されていて壮観だった。

これまで実物を見たことがなかった小説も手に取ることができ、少し興奮した。

中には亡くなってから復刊された作品もあるようだ。

大江さんも紀伊國屋に何度か来店していたそうで、書店員たちの個人的な思いのつまった追悼のお手紙も読み応えがあった。

上のツイートに書かれている「とにかく読んでくれもっと読んでくれ大江は本当にすごいぞ」って文句がすごくいい。

『万延元年』を読んだいま、その気持ちがよくわかる。

 

実はつながりが深い大江健三郎ラテンアメリカ

せっかくなので、大江健三郎ラテンアメリカとのつながりもメモしておきたいと思う。

大江さんは1976年、41歳のときにメキシコに行き、大学(コレヒオ・デ・メヒコ)で数か月の間、客員教授として教鞭をとっていた。

ウィキペディアによると、「現地でオクタビオ・パスフアン・ルルフォ、メキシコに居を構えていたガブリエル・ガルシア=マルケスらラテン・アメリカの文学者と知り合」ったらしい。

ラテンアメリカを代表する錚々たるメンバーだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E

大江健三郎 作家自身を語る』という本の中には、こんな記述がある。

メキシコシティという大都市自体が現代社会と神話世界が共存しているようで、とても刺激的な場所でした。

その後、『同時代ゲーム』、『「雨の木」を聴く女たち』、『懐かしい年への手紙』など、大江作品にメキシコがたびたび登場することになる。

 

3月に大江さんが亡くなったときには、メキシコ大使館も追悼のメッセージを出している。

 

また、大江さんはペルーのノーベル文学賞作家であるマリオ・バルガス=リョサとも親交があった。

大江さんの方がバルガス=リョサより1つ年上で、往復書簡を交わすなど、お互いに作家として敬愛し合っていたようだ。

私が三十代後半を迎えた1970年前後がラテンアメリカ文学の世界的な花盛りでした。ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』は邦訳があって読んでいましたし、(中略)とくにバルガス=リョサは私と同年輩で、とくに愛読しました。(『大江健三郎 作家自身を語る』)

2011年の大江健三郎マリオ・バルガス=リョサ

https://www.jiji.com/jc/d4?p=oek001-jpp11005367&d=d4_cc より引用

 
日本から存命のノーベル文学賞受賞者がいなくなった

知り合いから聞いた話だと、毎年ノーベル文学賞の発表日になると、大江さんの世田谷のご自宅前にマスコミの記者が集まっていたそうだ。

村上春樹が受賞したときに大江さんにコメントを求めるためだ。

だが、日本人の受賞者を見届けることなく今年3月に大江さんは亡くなってしまった。

少し寂しいが、作品をどんどん読んでいって追悼したい。

 

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大江健三郎『万延元年のフットボール』をドキドキしながら読んだ

今年3月に亡くなった大江健三郎さんの『万延元年のフットボール』を読んだ。

大江さんの代表作を読みたいと思い数年前に買っていたのだが、なかなか読むタイミングがなく、今回ようやく読むことができた。

結果、めちゃくちゃ面白かった。

特に後半は怒涛の展開で、ドキドキしながらページをめくる手が止まらなかった。

数年前、スペイン語のオンライン授業でコロンビア人の先生とガルシア=マルケスの話をしていたとき、「そういえば大江健三郎ってどんな作品を書くの?」と聞かれ、「しまった、ほとんど知らないぞ…」と焦った記憶がある。

恥ずかしながら大学時代に短編「死者の奢り」を読んだだけで長編を一つも読んだことがなかったからだ。

今回まだ1作を読んだだけだが、「大江健三郎、すげえ…」と少々興奮している。

さすがノーベル文学賞作家、「世界文学」の名に値する作品だと感じた。

あらすじ

1960年代、安保闘争の時代。

主人公の僕(蜜三郎)と妻、それに弟の鷹四は、東京を離れ兄弟が生まれ育った四国の村に滞在することを決める。

村の有力者から実家の蔵を売ってほしいと頼まれ、その話し合いをするためだ。

兄弟と妻はそれぞれの事情で心に傷を負っているのだが、弟の鷹四は村で暮らすうち若者たちの人望を集め、みるみるリーダー格になっていく。

妻も東京時代の酒浸りの生活から脱し、活力を取り戻す。

主人公の蜜三郎だけが村と距離を置き、疎外された存在となっていく。

そんな中、鷹四が村の若者たち(フットボールチーム)を率いて、村を経済的に支配する有力者(スーパーマーケットの天皇)を拉致し、スーパーを略奪する事件を起こす。

その熱狂は、村に伝説のように語られてきた100年前の一揆(万延元年=1860年)の再来のようで、鷹四は一揆の指導者と自分を重ね合わせる。

鷹四が村を支配しようとする中、彼が村の女子を強姦殺人する(したとされる)事件が起こる。

血にまみれて家に帰ってきた鷹四からは、蜜三郎の妻との関係や、かつて亡くなった知的障害の妹の秘密など、衝撃的な独白がなされる。

そしてさらなる銃声が・・・。

 

ざっくりとこんな感じだろうか。

第1章だけ異様な読みにくさだが、四国の村に行ってからは、ドロドロとしたやばい物語に引きこまれていく。

登場人物の面白さ

村に語り継がれる100年前の一揆の話と、鷹四が引き起こす現代の熱狂とが巧みに重なり合うストーリーも面白いのだが、登場人物にも民話的な面白さがある。

主人公の蜜三郎は翻訳業をしているインテリで、常に冷静で現実的、そして悲観的でもある。

一方の鷹四は行動的で、理想主義者で、村をまとめ上げるリーダーになる素質を備えている。

この兄弟はまるで陰と陽、月と太陽、理性と欲望のような、二元的で対称的な関係だ。

読者は明らかに兄の「蜜三郎」を「大江健三郎」の分身として読むように仕向けられている。

ところが、読み終わってみると鷹四もまた、大江健三郎のドロドロとした欲望の分身のような気がしてくる。

閉鎖空間の停滞した秩序をぶっ壊し、混沌を作り出したいという欲望。

この「蜜三郎」と「鷹四」という対称的な二人の登場人物は、その後の大江作品でも名前を変えて繰り返し登場するようだ。

 

「ギー」は柳田国男から!? 大江健三郎民俗学

『万延元年』を読み終わってから、少しだけ大江健三郎について勉強している。

最近、本屋で追悼雑誌を読んでいたら、小説の中に出てくる「隠遁者ギー」の名前は「柳田国男」の「ギ」から取ったと書いてあった。

また、大江は文化人類学者の山口昌夫とも交流があったらしいし、小説の中にも民俗学者折口信夫が登場する。

やはり早くから民俗学とか文化人類学の知見を小説の中に意識的に取り込もうとしていたようだ。

1960年代の四国の村に起こる一連の事件、つまり鷹四による共同体の死と再生の儀式は、どこか民話的で、万延元年の一揆のように今後も語り継がれていくことを予感させる。

そういえば、民話的な語りで世界を驚かせたガルシア=マルケスの『百年の孤独』と大江の『万延元年のフットボール』が同じ1967年に出版されているというのも、すごく興味深い。

 
村上春樹1973年のピンボール』はパロディ!?

さらに本屋で柄谷行人大江健三郎の対談本をぱらぱら見ていたら、面白いことが書いてあった。

柄谷さんによると、『万延元年』は大江以後の重要な作家たち、特に中上健次村上春樹に大きな影響を与えたそうで、村上春樹1973年のピンボール』は『万延元年のフットボール』のパロディだと。

大江自身にとっても『万延元年』は一つの到達点だったようだが、どうやら他の作家にとっても重要な意味を持つ、時代を象徴する作品だったようだ。

 

せっかく愛媛に住んでいたのに…

私は就職してから4年間、愛媛に住んでいた。

仕事のため日夜、長い長い”四国の森”の中を車で走り抜けていた。

だが当時は大江健三郎さんの作品の面白さを十分に知らず、生家のある内子町・大瀬を訪れることもなかった。

罪滅ぼしのために、大江作品をこれからどんどん読んでいきたい。

 

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2年ぶりの南米旅行 いろいろ成仏させてきた

2年ぶりに南米に行ってきた。

仕事の休みを1か月まとまってとれたので、チリ、アルゼンチン、ペルーを駆け足で巡ってきた。

目的地は、チリの首都サンティアゴ、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスイグアスの滝(アルゼンチン・ブラジル国境)、ペルーのリマ、アヤクチョ、イキトスの計6都市。

旅行から帰ってきてから気付いたが、乗り継ぎで立ち寄ったサンティアゴとリマ以外は、いずれもペルーに住んでいた当時に行こうとしたものの、結果的に行けなかった場所ばかりだ。

しかもすべて航空券やツアーを購入していたのにもかかわらず、不慮の事態によって涙をのんで旅行を中止した、ある意味思い出の場所だ。

今回の旅行は、そんな過去の悔しい思いを成仏させるために行ってきたのだと気付いた。

 

具体的にどんなトラブルで行けなかったのかというと・・・。

ブエノスアイレス

2019年に航空券・ツアーを購入していたものの、義母の病気によって急遽日本に帰国。

イキトス

2019年に航空券・ツアーを購入していたものの、日本での義母の看病が長引き行けず。

アヤクチョ

2020年に航空券を買っていたが、直前にブラジルで強盗に襲われ、パスポートやペルーの身分証を盗られてしまったため行けず(1度目)。

2021年にも行こうとしたが、直前に突発性難聴を発症し、日本で入院する羽目になったため行けず(2度目)。

イグアスの滝

2020年に旅行を計画していたものの、直前にコロナで国境が封鎖されて行けず。

これまで、上記の都市の名前を聞くだけで「なんで行けなかったんだ…」と落ち込んでいた時期もあったが、今回短い時間ながらも、やっと過去を取り戻すことができたと感じている。

そして、久々の南米旅行でエネルギーをもらってきた。

スペイン語も、ラテンアメリカについての勉強も、やる気がわいてきた。

というわけで、久々にブログを書いていこうかと思っている。

 

スーツケースのタイヤを盗られた・・・!?

今回困ったのは、旅の序盤でスーツケースのタイヤが2つなくなってしまったことだ。

JALで東京→ロサンゼルス(乗り継ぎ)便に乗ったときに1つ、そしてSKYでサンティアゴブエノスアイレス便に乗ったときにもう1つ無くなっていた。

せっかく新品のスーツケースを買っていったのに、早々にタイヤが2つになってしまい、移動にはかなり苦労した。

だが3つ目がなくなるともはや引いての移動は不可能になるので、ぎりぎり踏みとどまったというべきか。

とはいえ、移動するたびに空港でもタクシー乗り場でも「あれ、スーツケースが壊れてるね」と現地の人に言われ、ちょっとイラっとした。

 

これまで旅行中にスーツケースのタイヤがなくなることなんてなかったし、残りのタイヤを引っ張って外そうとしてみてもそう簡単にはとれるとは思えなかったので、航空会社や空港の職員に盗られたのだろうか。

そしてスーツケースのタイヤというニッチな闇市場が存在しているのだろうか。

誰か知っていたら教えてください。

 

ちなみに、タイヤ1つにつき航空会社が30ドル補償してくれた。

 

 

ジャガー:今まで知らなかったけどアメリカ大陸最強の動物

先月、グアテマラにある野生動物の保護施設に行った。

そこで、ジャガーを初めて見た。

えさを欲しがっているようでウロウロしていたが、歩き方も、肌の模様もかっこよくて美しい。

あまり滞在時間に余裕がなかったのだが、20分ほどうっとりと見とれてしまった。

こんな動物にジャングルで出会ったらどんなに恐ろしいことか。


www.youtube.com

施設の説明文によると、ジャガーはシカやアルマジロなどを食べる肉食動物で、しかも「頂点捕食者」に当たるらしい。

つまり、生態ピラミッドの頂点に位置し、唯一の天敵は人間だけだそうだ。

 

でも、ふと気になったのが、チーターやヒョウとの違いは何だろうか?

恥ずかしながらそのときまで全然気にしたことがなかった。

 

www.jalan.net

このサイトには、体の特徴からジャガーチーター、ヒョウを見分ける方法が書いてあって面白い。

でも大事なのは、チーターとヒョウはアフリカ・アジアが生息域なのに対し、ジャガーだけは南北アメリカ大陸に生息している。

ついでに言うとライオンとトラもアメリカ大陸にはいないので、ジャガーがこの大陸の頂点に位置しているのだ。

 

ラテンアメリカを知るにはジャガーのことも知らねばならない。

(ちなみにピューマアンデス山脈などに生息していて、インカ文明では神聖視されていた。)

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ジャガーの分布。主にメキシコから中米、南米にかけて。
うすいオレンジが過去、濃いオレンジが現在の生息地。Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Cypron-Range_Panthera_onca.svg

 

歴史をたどってみると、マヤ文明でもアステカ文明でもジャガーは神として崇められてきたそうだ。

手元に資料がないので詳しくは後日調べてみようと思うが、マヤには「ジャガーの爪」という称号の王がいたし、アステカ神話には「テスカトリポカ」というジャガーの神がいて、実際にその姿をまねたエリート戦士集団が存在したという。

ja.wikipedia.org

 

思い出してみると、ペルーのノーベル文学賞作家マリオ・バルガス・リョサの代表作に『都会と犬ども』という作品があるが、中心人物として登場する最強のいじめっ子の名前も「ジャガー」だったではないか。

 

そんなアメリカ大陸の頂点に位置してきた動物も、いまはヒトによる狩猟や森林伐採によって、準絶滅危惧種に指定されている。

 

僕が行ったグアテマラの保護施設「ARCAS」は、数十種の動物を年に300~600頭も引き取る、世界でも有数のレスキューセンターらしい。

ジャガーのほかにピューマやオオヤマネコなども見ることができた。

 

マヤ文明世界遺産「ティカル遺跡」の近くにあり、リゾート都市フローレスからボートでわずか10分で行くことができるので、グアテマラ観光の際はぜひ。

goo.gl

 

ちなみに、グアテマラでは民衆のお祭りにジャガーの仮面が使われるらしく、博物館やみやげ物屋でけっこう見かけた。

スーツケースに余裕があれば一つ購入したかったのだが。。

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