ヒルネクロコップの日記

ペルーに2年ほど住んでいたスペイン語学習者です。 読書や旅行の記録、ラテンアメリカのニュースについて書いていきたいと思います。2023年秋からメキシコに来ました。

大江健三郎 『万延元年』以外の作品もめっちゃ読みたくなった

ムーさんが紹介する大江健三郎おすすめ作品

万延元年のフットボール』を読んだあと、大江健三郎の他の作品についても知りたいと思い、NHK「100分de名著」やYouTubeの解説を見たりしている。

中でもわかりやすかったのが、「文学YouTuberムー」さんという方の動画だ。

大江作品のほとんど全てを読んだというムーさんは、長編34作を「初期」「中期」「後期」に分類して紹介している。

(ていうか34作もあるのか…!!)

 

初期:  『芽むしり仔撃ち』〜『個人的な体験』まで

中期: 『万延元年のフットボール』〜『燃えあがる緑の木』まで

後期:『宙返り』~『晩年様式集』まで

 

中でも、もっとも充実してすごい作品ぞろいなのが中期だそうだ。

youtu.be

ムーさんの解説を聞いて、『懐かしい年への手紙』『M/Tと森のフシギの物語』あたりの代表作は絶対読みたくなった。

「多くの人が初期の短編『死者の奢り・飼育』だけで読むのをやめてしまうが、あまりにもったいない!」とムーさんは力説する。

 

大江作品に繰り返し登場する「四国の森」の系譜

NHK「100分de名著」のテキスト、小野正嗣大江健三郎   燃えあがる緑の木』も勉強のために読んでみた。

この本によると、大江作品の面白い特徴として、

・海外の文学作品を自作に取り込んで物語を展開する

・大江さん自身の過去の作品さえも取り込まれ、物語の材料になる

ということが挙げられるようだ。

『万延元年』の舞台となった「四国の谷間の村」は、その後の作品にも少しずつ姿を変えながら何度も登場する。

その系譜は、『万延元年』→『同時代ゲーム』→『M/Tと森のフシギの物語』→『懐かしい年への手紙』→『燃えあがる緑の木』と続いていくそうだ。

それぞれ前作を巧みに取り込みながら、そして同じような名前の登場人物を少しずつ変化させながら、新しいテーマの物語を紡いでいく。

僕はまだ『万延元年』を読んだだけだが、この本に登場した暴動の主「鷹四」が、『燃えあがる緑の木』では救世主「隆」となって再登場するようで、すごく読んでみたくなる。

 

新宿・紀伊國屋大江健三郎コーナーがすばらしかった

僕は本屋を散歩するのが趣味なのだが、大江さんの本が大々的に特集されているのをほとんど見たことがない。

谷崎潤一郎三島由紀夫、阿部公房、村上春樹などの作家と比べると、長編小説の認知度という点ではどうしても劣ってしまう。

(代表作は?と聞かれて、上記の作家たちはすぐに挙げられるが、大江健三郎はそうでもない気がする。)

大江さんはノーベル文学賞まで受賞しているのに、「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」などのルポの方が有名で、戦後民主主義的な文脈で世間に認知されている、ちょっと不思議な小説家だと感じる。

 

だが先日、新宿の紀伊國屋書店の大江さんの追悼コーナーに行くと、大江作品が一挙に陳列されていて壮観だった。

これまで実物を見たことがなかった小説も手に取ることができ、少し興奮した。

中には亡くなってから復刊された作品もあるようだ。

大江さんも紀伊國屋に何度か来店していたそうで、書店員たちの個人的な思いのつまった追悼のお手紙も読み応えがあった。

上のツイートに書かれている「とにかく読んでくれもっと読んでくれ大江は本当にすごいぞ」って文句がすごくいい。

『万延元年』を読んだいま、その気持ちがよくわかる。

 

実はつながりが深い大江健三郎ラテンアメリカ

せっかくなので、大江健三郎ラテンアメリカとのつながりもメモしておきたいと思う。

大江さんは1976年、41歳のときにメキシコに行き、大学(コレヒオ・デ・メヒコ)で数か月の間、客員教授として教鞭をとっていた。

ウィキペディアによると、「現地でオクタビオ・パスフアン・ルルフォ、メキシコに居を構えていたガブリエル・ガルシア=マルケスらラテン・アメリカの文学者と知り合」ったらしい。

ラテンアメリカを代表する錚々たるメンバーだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E

大江健三郎 作家自身を語る』という本の中には、こんな記述がある。

メキシコシティという大都市自体が現代社会と神話世界が共存しているようで、とても刺激的な場所でした。

その後、『同時代ゲーム』、『「雨の木」を聴く女たち』、『懐かしい年への手紙』など、大江作品にメキシコがたびたび登場することになる。

 

3月に大江さんが亡くなったときには、メキシコ大使館も追悼のメッセージを出している。

 

また、大江さんはペルーのノーベル文学賞作家であるマリオ・バルガス=リョサとも親交があった。

大江さんの方がバルガス=リョサより1つ年上で、往復書簡を交わすなど、お互いに作家として敬愛し合っていたようだ。

私が三十代後半を迎えた1970年前後がラテンアメリカ文学の世界的な花盛りでした。ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』は邦訳があって読んでいましたし、(中略)とくにバルガス=リョサは私と同年輩で、とくに愛読しました。(『大江健三郎 作家自身を語る』)

2011年の大江健三郎マリオ・バルガス=リョサ

https://www.jiji.com/jc/d4?p=oek001-jpp11005367&d=d4_cc より引用

 
日本から存命のノーベル文学賞受賞者がいなくなった

知り合いから聞いた話だと、毎年ノーベル文学賞の発表日になると、大江さんの世田谷のご自宅前にマスコミの記者が集まっていたそうだ。

村上春樹が受賞したときに大江さんにコメントを求めるためだ。

だが、日本人の受賞者を見届けることなく今年3月に大江さんは亡くなってしまった。

少し寂しいが、作品をどんどん読んでいって追悼したい。

 

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大江健三郎『万延元年のフットボール』をドキドキしながら読んだ

今年3月に亡くなった大江健三郎さんの『万延元年のフットボール』を読んだ。

大江さんの代表作を読みたいと思い数年前に買っていたのだが、なかなか読むタイミングがなく、今回ようやく読むことができた。

結果、めちゃくちゃ面白かった。

特に後半は怒涛の展開で、ドキドキしながらページをめくる手が止まらなかった。

数年前、スペイン語のオンライン授業でコロンビア人の先生とガルシア=マルケスの話をしていたとき、「そういえば大江健三郎ってどんな作品を書くの?」と聞かれ、「しまった、ほとんど知らないぞ…」と焦った記憶がある。

恥ずかしながら大学時代に短編「死者の奢り」を読んだだけで長編を一つも読んだことがなかったからだ。

今回まだ1作を読んだだけだが、「大江健三郎、すげえ…」と少々興奮している。

さすがノーベル文学賞作家、「世界文学」の名に値する作品だと感じた。

あらすじ

1960年代、安保闘争の時代。

主人公の僕(蜜三郎)と妻、それに弟の鷹四は、東京を離れ兄弟が生まれ育った四国の村に滞在することを決める。

村の有力者から実家の蔵を売ってほしいと頼まれ、その話し合いをするためだ。

兄弟と妻はそれぞれの事情で心に傷を負っているのだが、弟の鷹四は村で暮らすうち若者たちの人望を集め、みるみるリーダー格になっていく。

妻も東京時代の酒浸りの生活から脱し、活力を取り戻す。

主人公の蜜三郎だけが村と距離を置き、疎外された存在となっていく。

そんな中、鷹四が村の若者たち(フットボールチーム)を率いて、村を経済的に支配する有力者(スーパーマーケットの天皇)を拉致し、スーパーを略奪する事件を起こす。

その熱狂は、村に伝説のように語られてきた100年前の一揆(万延元年=1860年)の再来のようで、鷹四は一揆の指導者と自分を重ね合わせる。

鷹四が村を支配しようとする中、彼が村の女子を強姦殺人する(したとされる)事件が起こる。

血にまみれて家に帰ってきた鷹四からは、蜜三郎の妻との関係や、かつて亡くなった知的障害の妹の秘密など、衝撃的な独白がなされる。

そしてさらなる銃声が・・・。

 

ざっくりとこんな感じだろうか。

第1章だけ異様な読みにくさだが、四国の村に行ってからは、ドロドロとしたやばい物語に引きこまれていく。

登場人物の面白さ

村に語り継がれる100年前の一揆の話と、鷹四が引き起こす現代の熱狂とが巧みに重なり合うストーリーも面白いのだが、登場人物にも民話的な面白さがある。

主人公の蜜三郎は翻訳業をしているインテリで、常に冷静で現実的、そして悲観的でもある。

一方の鷹四は行動的で、理想主義者で、村をまとめ上げるリーダーになる素質を備えている。

この兄弟はまるで陰と陽、月と太陽、理性と欲望のような、二元的で対称的な関係だ。

読者は明らかに兄の「蜜三郎」を「大江健三郎」の分身として読むように仕向けられている。

ところが、読み終わってみると鷹四もまた、大江健三郎のドロドロとした欲望の分身のような気がしてくる。

閉鎖空間の停滞した秩序をぶっ壊し、混沌を作り出したいという欲望。

この「蜜三郎」と「鷹四」という対称的な二人の登場人物は、その後の大江作品でも名前を変えて繰り返し登場するようだ。

 

「ギー」は柳田国男から!? 大江健三郎民俗学

『万延元年』を読み終わってから、少しだけ大江健三郎について勉強している。

最近、本屋で追悼雑誌を読んでいたら、小説の中に出てくる「隠遁者ギー」の名前は「柳田国男」の「ギ」から取ったと書いてあった。

また、大江は文化人類学者の山口昌夫とも交流があったらしいし、小説の中にも民俗学者折口信夫が登場する。

やはり早くから民俗学とか文化人類学の知見を小説の中に意識的に取り込もうとしていたようだ。

1960年代の四国の村に起こる一連の事件、つまり鷹四による共同体の死と再生の儀式は、どこか民話的で、万延元年の一揆のように今後も語り継がれていくことを予感させる。

そういえば、民話的な語りで世界を驚かせたガルシア=マルケスの『百年の孤独』と大江の『万延元年のフットボール』が同じ1967年に出版されているというのも、すごく興味深い。

 
村上春樹1973年のピンボール』はパロディ!?

さらに本屋で柄谷行人大江健三郎の対談本をぱらぱら見ていたら、面白いことが書いてあった。

柄谷さんによると、『万延元年』は大江以後の重要な作家たち、特に中上健次村上春樹に大きな影響を与えたそうで、村上春樹1973年のピンボール』は『万延元年のフットボール』のパロディだと。

大江自身にとっても『万延元年』は一つの到達点だったようだが、どうやら他の作家にとっても重要な意味を持つ、時代を象徴する作品だったようだ。

 

せっかく愛媛に住んでいたのに…

私は就職してから4年間、愛媛に住んでいた。

仕事のため日夜、長い長い”四国の森”の中を車で走り抜けていた。

だが当時は大江健三郎さんの作品の面白さを十分に知らず、生家のある内子町・大瀬を訪れることもなかった。

罪滅ぼしのために、大江作品をこれからどんどん読んでいきたい。

 

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2年ぶりの南米旅行 いろいろ成仏させてきた

2年ぶりに南米に行ってきた。

仕事の休みを1か月まとまってとれたので、チリ、アルゼンチン、ペルーを駆け足で巡ってきた。

目的地は、チリの首都サンティアゴ、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスイグアスの滝(アルゼンチン・ブラジル国境)、ペルーのリマ、アヤクチョ、イキトスの計6都市。

旅行から帰ってきてから気付いたが、乗り継ぎで立ち寄ったサンティアゴとリマ以外は、いずれもペルーに住んでいた当時に行こうとしたものの、結果的に行けなかった場所ばかりだ。

しかもすべて航空券やツアーを購入していたのにもかかわらず、不慮の事態によって涙をのんで旅行を中止した、ある意味思い出の場所だ。

今回の旅行は、そんな過去の悔しい思いを成仏させるために行ってきたのだと気付いた。

 

具体的にどんなトラブルで行けなかったのかというと・・・。

ブエノスアイレス

2019年に航空券・ツアーを購入していたものの、義母の病気によって急遽日本に帰国。

イキトス

2019年に航空券・ツアーを購入していたものの、日本での義母の看病が長引き行けず。

アヤクチョ

2020年に航空券を買っていたが、直前にブラジルで強盗に襲われ、パスポートやペルーの身分証を盗られてしまったため行けず(1度目)。

2021年にも行こうとしたが、直前に突発性難聴を発症し、日本で入院する羽目になったため行けず(2度目)。

イグアスの滝

2020年に旅行を計画していたものの、直前にコロナで国境が封鎖されて行けず。

これまで、上記の都市の名前を聞くだけで「なんで行けなかったんだ…」と落ち込んでいた時期もあったが、今回短い時間ながらも、やっと過去を取り戻すことができたと感じている。

そして、久々の南米旅行でエネルギーをもらってきた。

スペイン語も、ラテンアメリカについての勉強も、やる気がわいてきた。

というわけで、久々にブログを書いていこうかと思っている。

 

スーツケースのタイヤを盗られた・・・!?

今回困ったのは、旅の序盤でスーツケースのタイヤが2つなくなってしまったことだ。

JALで東京→ロサンゼルス(乗り継ぎ)便に乗ったときに1つ、そしてSKYでサンティアゴブエノスアイレス便に乗ったときにもう1つ無くなっていた。

せっかく新品のスーツケースを買っていったのに、早々にタイヤが2つになってしまい、移動にはかなり苦労した。

だが3つ目がなくなるともはや引いての移動は不可能になるので、ぎりぎり踏みとどまったというべきか。

とはいえ、移動するたびに空港でもタクシー乗り場でも「あれ、スーツケースが壊れてるね」と現地の人に言われ、ちょっとイラっとした。

 

これまで旅行中にスーツケースのタイヤがなくなることなんてなかったし、残りのタイヤを引っ張って外そうとしてみてもそう簡単にはとれるとは思えなかったので、航空会社や空港の職員に盗られたのだろうか。

そしてスーツケースのタイヤというニッチな闇市場が存在しているのだろうか。

誰か知っていたら教えてください。

 

ちなみに、タイヤ1つにつき航空会社が30ドル補償してくれた。

 

 

ジャガー:今まで知らなかったけどアメリカ大陸最強の動物

先月、グアテマラにある野生動物の保護施設に行った。

そこで、ジャガーを初めて見た。

えさを欲しがっているようでウロウロしていたが、歩き方も、肌の模様もかっこよくて美しい。

あまり滞在時間に余裕がなかったのだが、20分ほどうっとりと見とれてしまった。

こんな動物にジャングルで出会ったらどんなに恐ろしいことか。


www.youtube.com

施設の説明文によると、ジャガーはシカやアルマジロなどを食べる肉食動物で、しかも「頂点捕食者」に当たるらしい。

つまり、生態ピラミッドの頂点に位置し、唯一の天敵は人間だけだそうだ。

 

でも、ふと気になったのが、チーターやヒョウとの違いは何だろうか?

恥ずかしながらそのときまで全然気にしたことがなかった。

 

www.jalan.net

このサイトには、体の特徴からジャガーチーター、ヒョウを見分ける方法が書いてあって面白い。

でも大事なのは、チーターとヒョウはアフリカ・アジアが生息域なのに対し、ジャガーだけは南北アメリカ大陸に生息している。

ついでに言うとライオンとトラもアメリカ大陸にはいないので、ジャガーがこの大陸の頂点に位置しているのだ。

 

ラテンアメリカを知るにはジャガーのことも知らねばならない。

(ちなみにピューマアンデス山脈などに生息していて、インカ文明では神聖視されていた。)

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ジャガーの分布。主にメキシコから中米、南米にかけて。
うすいオレンジが過去、濃いオレンジが現在の生息地。Wikipediaより引用
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Cypron-Range_Panthera_onca.svg

 

歴史をたどってみると、マヤ文明でもアステカ文明でもジャガーは神として崇められてきたそうだ。

手元に資料がないので詳しくは後日調べてみようと思うが、マヤには「ジャガーの爪」という称号の王がいたし、アステカ神話には「テスカトリポカ」というジャガーの神がいて、実際にその姿をまねたエリート戦士集団が存在したという。

ja.wikipedia.org

 

思い出してみると、ペルーのノーベル文学賞作家マリオ・バルガス・リョサの代表作に『都会と犬ども』という作品があるが、中心人物として登場する最強のいじめっ子の名前も「ジャガー」だったではないか。

 

そんなアメリカ大陸の頂点に位置してきた動物も、いまはヒトによる狩猟や森林伐採によって、準絶滅危惧種に指定されている。

 

僕が行ったグアテマラの保護施設「ARCAS」は、数十種の動物を年に300~600頭も引き取る、世界でも有数のレスキューセンターらしい。

ジャガーのほかにピューマやオオヤマネコなども見ることができた。

 

マヤ文明世界遺産「ティカル遺跡」の近くにあり、リゾート都市フローレスからボートでわずか10分で行くことができるので、グアテマラ観光の際はぜひ。

goo.gl

 

ちなみに、グアテマラでは民衆のお祭りにジャガーの仮面が使われるらしく、博物館やみやげ物屋でけっこう見かけた。

スーツケースに余裕があれば一つ購入したかったのだが。。

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中南米レストランあるある?「メニュー」と「カルタ」のどうでもいい話

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スペイン語圏で外食をしているときに、ときどき起こること。

 

昨日、とあるレストランで食事をしていると、近くの席の外国人のおじいさんと、店員の女性との間で、意思疎通できていない感じが見て取れた。

聞き耳をたててみると、英語話者のおじいさんはドリンクのメニューがほしいらしく、「メニュー、メニュー」と言っている。

スペイン語で「メニュー」は「定食」の意味なので、店員は「はて?」という顔をしている。

 

親切な僕は「この人はドリンクの『カルタ』(スペイン語のメニュー)がほしいみたいですよ」とスペイン語で店員に告げる。

無事、店員がおじいさんにメニューを持ってきて、おじいさんは僕に「サンキュー、サンキュー」と言う。

 

過去にも何回か体験したおなじみの光景だ。

 

ここまではいいとして、僕は英語が幼稚園児レベルなので、「おじいさん、僕に英語でしゃべりかけないでくれ」と心の中で願う。

でもおじいさんは「Where are you from?」と僕に質問する。

 

ペルーに引っ越してから本当に英語を使う機会がなく、僕の英語力は地の底まで落ちている。

中学で英語を学び始めて以来、最も低いレベルにまで落ちている。

かつて英語で表現できていたことは完全にスペイン語に置き換わり、脳の中で英語に全く変換されなくなった。

 

オーストラリア人だというおじいさんと、幼稚園児レベルの英語で会話を始める。

日本の都市、シアトルのビーチ、ラグビーの代表戦、最近旅行で行った場所…。

おじいさんは人間ができていて、僕がアーアーと苦しむのをゆっくり待ってくれる。

コロナ感染者が増えているとか減っているとかは、もはや表現できない。

それどころか、「大きい」の「Big」が思い出せなくて自分でもびっくりした。

 

もちろん将来は、できれば10年後くらいには、今のスペイン語レベルまで英語ができたらいいなと、ぼんやり考えている。

 

オーストラリア人のおじいさんを悲しませないためにも。

 

グアテマラ・パカヤ火山の噴火に遭遇した

先月は、スペイン語の勉強と仕事の準備のためにグアテマラに滞在していた。

グアテマラ中南米の中でもかなり感染が落ち着いていて、すでに再開している語学学校もいくつかあるし、町を歩いていても観光客が少しずつ戻ってきている。

 

ある日、現地ガイドに案内されて首都グアテマラシティをドライブしていると、フロントガラスの向こうに空高く立ち昇る煙が見えてきた。

1ヶ月ほど前から噴火のニュースが伝えられている「パカヤ火山」だ。

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パカヤ火山。青空に向かって雲を吐き出しているようで美しい

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空港が近いので火山のそばを飛行機が飛んでいく様子が見える


グアテマラ環太平洋造山帯に位置している火山大国で、37の火山があるそうだ。

2018年には別の火山の大噴火があり、およそ300人が亡くなった。

 

ガイドが「いまはパカヤの噴火を近くで見られる絶好のタイミングだよ」と勧めてきたので、午後の予定を変えて、近くまで行ってみることにした。

 

グアテマラシティの中心部から1時間ほど車を走らせると、まだ午後4時前なのに急にあたりが暗くなってきた。

噴煙によって空が覆われているのだ。

さらに突然の激しい雨。

普段この季節に雨はほとんど降らないのだが、噴火による上昇気流によってこうした現象が起こるらしい。


www.youtube.com

到着したのは、パカヤ火山を含め5つの火山が見渡せる「エル・アマテ・キャンプ場 (Finca El Amate)」だ。

キャンプ場のほとんどの地面は、2010年にパカヤが噴火した際に固まった溶岩で埋め尽くされていて、その上を歩けるようになっている。

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激しい雨も収まり、溶岩散策を楽しんでいたそのとき、突如大きな雷がパカヤ火山の頂に落ちた。

その瞬間、「ゴーーッ」という轟音とともに新たな巨大な噴火が始まった。

その時の様子がこの動画だ。

 


www.youtube.com

動画を見返すと、案内してくれたガイドが一番興奮している。

僕が「ここにいて危険はないのか」と聞くと、ガイドは「大丈夫、今日死んでも明日生き返るさ!」と適当なことを言っている。

彼のガイド人生の中でも、これほどの規模の噴火を間近で見たのは初めてだそうで、「これは宗教的な体験だ!」と感動が抑えきれない様子だった。

僕も目の前の光景の壮大さに心を打たれたが、さすがに恐くなってきて、10分ほどでこのキャンプ場から退却した。

 

後日談その1

翌日、新聞を買ってみると、噴火の記事が一面に載っていた。

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噴煙は山頂から2400メートルも上に吹き上がり、周辺自治体が住民のために避難所を準備していると書いてある。

火山の周辺には、パイナップル栽培などで暮らす貧しい農家の家屋がたくさんあった。

彼らの生活は、灰の吸い込みによる健康被害もあるだろうし、常に噴火の恐怖が身近にあるはずで、その過酷さが想像される…。

 

後日談その2

噴火の翌々日には、火山灰が積もった影響で、グアテマラシティの国際空港が一時的に閉鎖されたというニュースが伝えられた。

人の手で滑走路のモップがけをやっている写真を見たが、めちゃくちゃ大変そうだ。。

 

後日談その3

噴火から一週間後、たまたまパカヤ火山の上空を飛行機で飛ぶ機会があった。

夜だったので、赤く光る溶岩がはっきりと見えた。

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ふらっと訪れたグアテマラシティで、偶然にも巨大な噴火と、その後の一連の影響を観察できたのは得難い経験だった。

グアテマラに滞在してみると、ここに住む人たちはまさに火山と隣り合わせで生活していることを実感する。

 

2020年ふりかえり 幻となったいろんな旅行について

2020年、本当に思い通りにいかない年だった。

世界中の多くの人がそう思っているだろうけれど。

 

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まだ世界が平和だった2020年の年明けの花火(2020/1/1 ペルー・リマ)

 

幻のパタゴニア旅行

僕の場合、思えばすでに2019年の終盤からすでに思い通りにいかない日々が始まっていた。

 

12月、妻とともにパタゴニア(アルゼンチン・チリ)への2週間の旅行を計画していたのだが、現地に到着して間もなく、義母が脳出血で倒れて意識不明になったと連絡があった。

ほとんど何も観光できないまま、(自宅のあるペルーには立ち寄らず)アルゼンチンの最南端から妻の実家のある広島まで地球を半周し、計60時間かけて戻ることになった。

 

幸い義母は大事に至らず順調にリハビリを続けているが、僕としては入念に準備したすごく楽しみな旅行だったので、1ヶ月ほど精神的にへこんでいた。

広島では義母と義父の手伝いをいろいろしたので、年末年始にかけて計画していたアマゾン地方への旅行も中止となった。

 

強盗事件

気を取り直して、今年の2月にはブラジル・リオデジャネイロに旅行に行った。

リオのカーニバルは人生の中でも上位にランクインする印象深い光景だった。

だが、旅行の最終日、強盗に襲われてしまった。

「セラロン階段」という地球の歩き方にも載っている観光スポットに行ったのだが、そのすぐ近くで男2人組に殴る蹴るの暴行を受け、妻も僕もリュックや貴重品などすべて奪われた。

この日は、空港に行ってリマに帰る予定だったので、不用意なことにパスポート、現金、カードなどすべて携行していた。

警察署に行って被害届提出。日本領事館に行ってパスポートの再発行の手続き。

結局、新しいパスポートを手に入れるまで3日を要した。

  

幻のアンデス旅行、イグアスの滝旅行

実は、リオから帰ってすぐに日本人の文化人類学者の先生と一緒にアンデスの村々を歩く約束をしていたのだが、その調査にも同行できなくなってしまった。

これもかなり楽しみにしていた行事だったので、精神的ダメージはけっこう大きかった。

(いまもときどき思い出してはうなされる。)

 

また、3月に予定していたイグアスの滝(ブラジル・アルゼンチン)への旅行も、盗まれた物の手続きの関係で断念した。

 

ちなみに、これらの実現できなかった旅行(パタゴニア、アマゾン、リオ、イグアス、アンデス)の飛行機代、ツアー代、盗難品代の大半は戻って来ず、懐に猛烈なパンチを食らった格好になった。

 

コロナウイルス到来

2月下旬、リオに滞在しているときからすでに、コロナの足音は近づいていた。

まだ南米では感染者は出ていなかったが、テレビをつければ中国のコロナの話題ばかり。

道を歩いていても5、6回「コロナウイルス!」と知らない人から罵られ、差別というものを初めて体験した。(南米では中国人も日本人も同じ「東洋人」だ。)

 

3月初旬にリマに戻ってきてからは、「今日から博物館が閉館に」「イベントが中止に」などと騒がしくなってきたが、まだ世の中の空気的には「まだペルーに感染者がいないのに大げさなのでは」という受け止めが大半だった。

 

3月15日はペルーの人々にとって衝撃の日だった。

国内の感染者が十数人という段階で緊急事態宣言が出され、翌16日から薬局やスーパー以外への外出は禁止、17日から空港も閉鎖されることになった。

誰もが寝耳に水の話だったので、急いで外国や他都市に出ようとする人もいたりして、国内は軽いパニック状態という感じだった。

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人気がなくなったリマの幹線道路。コロナ前まではいつも大渋滞だった。

 

監禁生活

ながい地獄のような外出禁止生活についてはまた別の機会に書こうと思うが、人間は移動できないとこんなにストレスがたまるものなのかという心理学的、人類学的な発見があった。

 

半年間、リマの家で夫婦2人だけの生活。

当然のことながら夫婦喧嘩は増えたが、逆に絆が強まったような気もする。

 

日本への一時帰国

8月、ペルーはかなり深刻な状況になった。

感染者は多い時で1日1万人。

サンマリノという人口3万人の小さな国を除くと、人口当たりの死者数では世界一になった。

ざっと1000人に1人が亡くなり、妻の職場でも2人の方が亡くなった。

 

8月末にはついに妻の会社から「一時的に日本へ退避せよ」という命令が出て、外務省のチャーター便に乗ってオランダ経由で日本に帰ってきた。

計40時間、ずっとマスクを付けっぱなしなのがきつかった。

 

まずは関西空港のホテルで2週間の隔離生活を送った。

その後はホテルを転々としながら賃貸住宅を探し、関東に住み始めることになった。

家具を買い揃えたり、いろいろ契約したり、友人に頼まれた結婚式ビデオの製作をしたりと、2ヶ月ほどは忙しく過ごした。

だがそれらが終わって自由時間が増えてみると、会社からは一向にペルーに戻すという連絡はないし、「俺は日本で何をしてるんだ」という思いが募り、うなされるようになった。

(ペルーにいるときからうなされていたけど。)

 

幻となったあれこれ

パンデミックさえ起きなければ、今年は本当にいろんなことをする予定だった。

4月にスペイン語の検定試験、5月にコロンビア旅行、6月にはクスコでボランティアとホームステイ生活。

それ以降にはNGOの手伝いだとか、アンデスの小さな村に滞在して農耕牧畜をさせてもらう予定もあった。

スペインやカリブ海、中米、南米の諸都市をまわる計画も立てていた。

 

迷い込んでしまったパラレルワールド

僕はいま仕事を休職中で、2021年の後半にはまた元の職場に戻らなければならない。

会社で仕事をしているときからこの期間限定の放牧期間をすごく楽しみにしていて、またひとまわり成長した自分になれると思っていたので、なかなかパンデミックという現実を受け入れるのは難しかった。

もちろん、コロナによって自分より困難な状況になっている人がたくさんいるし、健康な自分は恵まれているとも思うけれど・・・。

 

去年の10月、まだ世界が平和だった頃のある日のことだが、夫婦で異様に赤い夕焼けを見た。

妻はそれを境に違う世界線に迷い込んでしまったと信じているのだが(笑)、僕もずっと本来の現実ではなく間違った現実を生きてる感覚だ。

 

巣篭もり期間を生かしてラテンアメリカ関係の本をガシガシ読んで知識を深めようとも思ったが、行けたはずの場所、見れたはずのものが本の中に出てくると、そこで苦しくなって読むのがストップしてしまう。

 

パタゴニアにいるときに義母が倒れることなく、そのまま旅行を続けていたら、そしてその後も順調に生きてきたとしたら、いま自分は何を体験してどんな自分になっているだろうかと。

 

ちゃんと本が読めるようになったのは、本当にここ1ヶ月くらいのことだ。

 

 現実を受け入れる

11月の後半になって、ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』という本を読んだおかげで、自分は「個人的な危機」の中にいるのだと気づくことができた。

また、たまたま本屋で『ストレス管理のキホン』という本を手にとって、自分がこの1年、強いストレス下に置かれていたのだと気づくことができた。

 

そして、絶望して何のやる気も起きないのも当然だ、と自分を受け入れることができ、12月になってやっと生きる気力と勉強するモチベーションが湧いてくるようになった。 

いまはコロンビア人の先生にスペイン語を学びながら、コロンビアの地理・歴史についてコツコツと勉強を始めている。

 

今年の絶望は今年で成仏させて、2021年は新しい年になるように、そしてラテンアメリカに戻ることができるように、パチャママアンデスの大地の神)に祈りながら年を越したいと思う。