2020年、本当に思い通りにいかない年だった。
世界中の多くの人がそう思っているだろうけれど。
幻のパタゴニア旅行
僕の場合、思えばすでに2019年の終盤からすでに思い通りにいかない日々が始まっていた。
12月、妻とともにパタゴニア(アルゼンチン・チリ)への2週間の旅行を計画していたのだが、現地に到着して間もなく、義母が脳出血で倒れて意識不明になったと連絡があった。
ほとんど何も観光できないまま、(自宅のあるペルーには立ち寄らず)アルゼンチンの最南端から妻の実家のある広島まで地球を半周し、計60時間かけて戻ることになった。
幸い義母は大事に至らず順調にリハビリを続けているが、僕としては入念に準備したすごく楽しみな旅行だったので、1ヶ月ほど精神的にへこんでいた。
広島では義母と義父の手伝いをいろいろしたので、年末年始にかけて計画していたアマゾン地方への旅行も中止となった。
強盗事件
気を取り直して、今年の2月にはブラジル・リオデジャネイロに旅行に行った。
リオのカーニバルは人生の中でも上位にランクインする印象深い光景だった。
だが、旅行の最終日、強盗に襲われてしまった。
「セラロン階段」という地球の歩き方にも載っている観光スポットに行ったのだが、そのすぐ近くで男2人組に殴る蹴るの暴行を受け、妻も僕もリュックや貴重品などすべて奪われた。
この日は、空港に行ってリマに帰る予定だったので、不用意なことにパスポート、現金、カードなどすべて携行していた。
警察署に行って被害届提出。日本領事館に行ってパスポートの再発行の手続き。
結局、新しいパスポートを手に入れるまで3日を要した。
幻のアンデス旅行、イグアスの滝旅行
実は、リオから帰ってすぐに日本人の文化人類学者の先生と一緒にアンデスの村々を歩く約束をしていたのだが、その調査にも同行できなくなってしまった。
これもかなり楽しみにしていた行事だったので、精神的ダメージはけっこう大きかった。
(いまもときどき思い出してはうなされる。)
また、3月に予定していたイグアスの滝(ブラジル・アルゼンチン)への旅行も、盗まれた物の手続きの関係で断念した。
ちなみに、これらの実現できなかった旅行(パタゴニア、アマゾン、リオ、イグアス、アンデス)の飛行機代、ツアー代、盗難品代の大半は戻って来ず、懐に猛烈なパンチを食らった格好になった。
コロナウイルス到来
2月下旬、リオに滞在しているときからすでに、コロナの足音は近づいていた。
まだ南米では感染者は出ていなかったが、テレビをつければ中国のコロナの話題ばかり。
道を歩いていても5、6回「コロナウイルス!」と知らない人から罵られ、差別というものを初めて体験した。(南米では中国人も日本人も同じ「東洋人」だ。)
3月初旬にリマに戻ってきてからは、「今日から博物館が閉館に」「イベントが中止に」などと騒がしくなってきたが、まだ世の中の空気的には「まだペルーに感染者がいないのに大げさなのでは」という受け止めが大半だった。
3月15日はペルーの人々にとって衝撃の日だった。
国内の感染者が十数人という段階で緊急事態宣言が出され、翌16日から薬局やスーパー以外への外出は禁止、17日から空港も閉鎖されることになった。
誰もが寝耳に水の話だったので、急いで外国や他都市に出ようとする人もいたりして、国内は軽いパニック状態という感じだった。
監禁生活
ながい地獄のような外出禁止生活についてはまた別の機会に書こうと思うが、人間は移動できないとこんなにストレスがたまるものなのかという心理学的、人類学的な発見があった。
半年間、リマの家で夫婦2人だけの生活。
当然のことながら夫婦喧嘩は増えたが、逆に絆が強まったような気もする。
日本への一時帰国
8月、ペルーはかなり深刻な状況になった。
感染者は多い時で1日1万人。
サンマリノという人口3万人の小さな国を除くと、人口当たりの死者数では世界一になった。
ざっと1000人に1人が亡くなり、妻の職場でも2人の方が亡くなった。
8月末にはついに妻の会社から「一時的に日本へ退避せよ」という命令が出て、外務省のチャーター便に乗ってオランダ経由で日本に帰ってきた。
計40時間、ずっとマスクを付けっぱなしなのがきつかった。
まずは関西空港のホテルで2週間の隔離生活を送った。
その後はホテルを転々としながら賃貸住宅を探し、関東に住み始めることになった。
家具を買い揃えたり、いろいろ契約したり、友人に頼まれた結婚式ビデオの製作をしたりと、2ヶ月ほどは忙しく過ごした。
だがそれらが終わって自由時間が増えてみると、会社からは一向にペルーに戻すという連絡はないし、「俺は日本で何をしてるんだ」という思いが募り、うなされるようになった。
(ペルーにいるときからうなされていたけど。)
幻となったあれこれ
パンデミックさえ起きなければ、今年は本当にいろんなことをする予定だった。
4月にスペイン語の検定試験、5月にコロンビア旅行、6月にはクスコでボランティアとホームステイ生活。
それ以降にはNGOの手伝いだとか、アンデスの小さな村に滞在して農耕牧畜をさせてもらう予定もあった。
スペインやカリブ海、中米、南米の諸都市をまわる計画も立てていた。
迷い込んでしまったパラレルワールド
僕はいま仕事を休職中で、2021年の後半にはまた元の職場に戻らなければならない。
会社で仕事をしているときからこの期間限定の放牧期間をすごく楽しみにしていて、またひとまわり成長した自分になれると思っていたので、なかなかパンデミックという現実を受け入れるのは難しかった。
もちろん、コロナによって自分より困難な状況になっている人がたくさんいるし、健康な自分は恵まれているとも思うけれど・・・。
去年の10月、まだ世界が平和だった頃のある日のことだが、夫婦で異様に赤い夕焼けを見た。
妻はそれを境に違う世界線に迷い込んでしまったと信じているのだが(笑)、僕もずっと本来の現実ではなく間違った現実を生きてる感覚だ。
巣篭もり期間を生かしてラテンアメリカ関係の本をガシガシ読んで知識を深めようとも思ったが、行けたはずの場所、見れたはずのものが本の中に出てくると、そこで苦しくなって読むのがストップしてしまう。
パタゴニアにいるときに義母が倒れることなく、そのまま旅行を続けていたら、そしてその後も順調に生きてきたとしたら、いま自分は何を体験してどんな自分になっているだろうかと。
ちゃんと本が読めるようになったのは、本当にここ1ヶ月くらいのことだ。
現実を受け入れる
11月の後半になって、ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』という本を読んだおかげで、自分は「個人的な危機」の中にいるのだと気づくことができた。
また、たまたま本屋で『ストレス管理のキホン』という本を手にとって、自分がこの1年、強いストレス下に置かれていたのだと気づくことができた。
そして、絶望して何のやる気も起きないのも当然だ、と自分を受け入れることができ、12月になってやっと生きる気力と勉強するモチベーションが湧いてくるようになった。
いまはコロンビア人の先生にスペイン語を学びながら、コロンビアの地理・歴史についてコツコツと勉強を始めている。
今年の絶望は今年で成仏させて、2021年は新しい年になるように、そしてラテンアメリカに戻ることができるように、パチャママ(アンデスの大地の神)に祈りながら年を越したいと思う。