最近見たラテンアメリカを舞台にした映画4本。
先に書いた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ベネズエラ」の感想はこちらからどうぞ。
そして、2本目のメキシコ映画は傑作だった。
「息子の面影」(監督:フェルナンダ・バラデス/2020年)(※ネタバレあり)
アメリカに入国するために、家族に秘密で国境に旅立っていった一人のメキシコ人の男の子。
彼がまだ生きていると信じて、手がかりを求めて国境まで旅する母親。
母親は旅の途中で、アメリカから追い出され地元へ帰ろうとする青年と出会う。
息子に似たその青年と意気投合し、国境付近を一緒に行動するようになるが、ある晩、二人は武装した麻薬カルテルの一味に襲われる。
カルテルは残酷にも青年を殺し、母親にも銃を向ける。
だが、顔を見るとそのカルテルの殺し屋は、探していた息子だった…。
ストーリー展開が巧みで、結末が衝撃的。
見入ってしまう映画だった。
メキシコや中米の国々から、仕事と身の安全を求めてアメリカへ向かう若者は多くいる。
そしてアメリカ・メキシコ国境付近は極めて治安が悪く、多くの人が殺されている。
そういうことを知識として知ってはいたが、映画を見てはじめて「こんなに命がけなのか」とリアルに感じられた。
なぜ家出した息子がカルテルの殺し屋になったのか、ストーリーをもう少しタネ明かしすると、、
息子は同行していた友人と一緒にアメリカ行きのバスに乗った。
だがそのバスはカルテルに襲われ、乗客が次々と殺されていった。
息子は「友人をおまえの手で殺すなら許してやる」という悪魔のような条件を突きつけられ、友人を殺すことを選ぶ。
そしてカルテルに取り込まれた。
このあたりの事情説明は、バス襲撃事件に遭遇し、生き延びた老人の回想として語られる。
老人は母親に向かって「息子さんの友人は悪魔によって殺されたんだ」と繰り返す。
たぶん老人は、息子が殺したと知ってはいたものの、母親にそれを伝えるのが忍びなく「悪魔のしわざ」と表現したのだろう。
映画のラストで気づくのは、その「悪魔」の一味になってしまった息子の名前が「Jesús(イエス・キリスト)」であるということ。
メキシコではありふれた名前だけれども、神の息子でさえも悪魔になってしまうメキシコの現実を突きつけられた気がした。
いろんな意味ですぐれた映画だった。
これも「ラテンビート映画祭2020」にて。
ピノチェト時代の大量殺人事件をテーマにした「十字架」、エクアドル先住民のシャーマンを追った「カナルタ-螺旋状の夢-」の感想はこちら。