ゴールデンウィークは主に、新宿K'sシネマでボリビア先住民の映画を見てきた。
「ウカマウ集団60年の全軌跡」という映画祭で、5/23まで新宿でやっている。その後は全国を巡回するらしい。
計6本見たのだが(長編4本、短編2本)、面白かった順に簡単な感想を書いていきたい。


ウカマウ集団とは
ウカマウとは南米ボリビアで1960年代半ばから映画を制作しているグループで、ホルヘ・サンヒネス監督(1936~)に率いられている。
その特徴は、ボリビア先住民の生きざまに焦点を当てていることだ。
ボリビアはラテンアメリカの中でも先住民の人口割合が多い国で、特にアンデス山脈のケチュア語、アイマラ語話者がとても多い。
一方で、国を支配してきたのは白人・メスティーソ(混血)層で、先住民は現在に至るまで構造的に差別、搾取されてきた。
ウカマウは、出演者に素人の先住民を起用し、アイマラ語・ケチュア語を用いて映画を制作。徹底して先住民の側の視点で社会を切り取っている。
当時こうした映画は他に例がなく、衝撃をもって受け止められたらしい。
日本ではラテンアメリカ研究者の太田昌国さんと唐澤秀子さんが早くから着目して日本に紹介し、全作品を上映してきたという。
ウカマウ集団とは|『ウカマウ集団 60年の全軌跡 未公開の新作2本を含む全14作品の特集上映』2025年4月26日(土)〜5月23日(金)K's cinema(新宿)にて開催!

今回見た長編4本の中では、「コンドルの血」と「地下の民」が特に面白く、おすすめだ。
「コンドルの血」1969年 (75分)
アメリカの「平和部隊」(青年海外協力隊のアメリカ版)がアンデスの村々で強制不妊手術を行っていることを告発した映画。

<ざっくりあらすじ>
村長であるイグナシオは、自分の妻が妊娠しないことを不思議に思い聞き込みをすると、この村でも周辺の村でも子どもが生まれなくなっていることに気付く。さらに調査を進めると、アメリカからやってきた白人の診療所で女性らが処置を受けた際に、本人に知らされることなく不妊手術が行われていることがわかった。イグナシオたちは白人たちを追及するが、逆に後日、ボリビア警察が村人たちを捕えて処刑する。一命をとりとめたイグナシオは妻と弟によって首都ラパスの病院に運ばれるが、手術を行うには輸血のために大金が必要だと医師から告げられる。
<感想>
1960~90年代にかけて、アメリカ政府(特にUSAID)は世界各地で、人口抑制のための不妊手術政策の支援を行ってきた。
結果としてインド、バングラデシュ、プエルトリコ、ペルーなど多くの国で、本人の同意のない強制不妊手術が大規模に行われることとなった。
ボリビアでも国際支援の名のもとにこんな人権侵害を行なっていたことにまず驚く。
そして告発した村民たちを(恐らくアメリカに気を遣って)ボリビア政府が処刑するのもぞっとするし、重傷を負った村民が貧困ゆえに簡単に治療を受けられないのもやりきれない。
映画の中では、村人たちの気を引こうとする白人の傲慢さや姑息さ、先住民への差別意識も非常にうまく描かれている。
この映画がきっかけとなり、本当に平和部隊がボリビアから追い出される事態になったというからすごい。
見終わったあと、ざわざわした気持ちになる良作だった。
👇公式トレーラー
「地下の民」1989年 (125分)
都市からも疎外され、故郷の村からも見放された先住民セバスティアンの葛藤を抱えた生涯と、死を決意して帰郷する姿を描いた作品。

この作品がウカマウの最高傑作とされているそうで、太田昌国さんも『ボリビアを知るための73章』の中で絶賛している。
都市で働く一アイマラ青年の半生をたどりながら、先住民としてのアイデンティティの危機という問題を、現実の重層的な社会構造とアンデス先住民の神話的な世界もまじえて描いた、広がりのある作品である。(中略)文字通り、ウカマウ集団=ホルヘ・サンヒネスの代表作というべき作品となった。
太田昌国「ウカマウ映画集団の軌跡」『ボリビアを知るための73章』346~347頁
<ざっくりあらすじ>
村長を務めていた時代に着服がばれてセバスティアンは村を追放されるが、首都ラパスでも先住民であることを理由に差別を受け、孤立して生きることになる。彼は故郷の共同体に戻って死ぬことを決意するが、命がけで贖罪するために彼が選んだのは「タタ・ダンサンテの踊り」。悪魔の仮面をかぶり、踊ると死ぬと言い伝えられている古代の儀式だった。
<感想>
映画は時系列がどんどん入れ替わるので最初は混乱するが、セバスティアンの回想シーンだとわかると次第に頭が整理される。
何と言っても死の踊りに使われる「緑の悪魔の仮面」が印象的。家にミニチュアを飾りたいくらい素敵な仮面だ。
ボリビアはオルーロのカーニバルでも独創的な仮面が登場するが、この映画の仮面も十分に不気味でかわいい。
そしてアンデスの縦笛ケーナの重厚で悲しいメロディが映画を通して鳴り続ける。映画を見終わってもしばらくの間、頭の中で鳴り続けていた。
セバスティアンや村民たちの「死の踊り」を見ていると不思議な世界に連れ込まれる感覚に陥る。

タイトル「地下の民」のスペイン語原題は「La Nación Clandestina」。
Nación=国民、民族、国家
Clandestina=地下の、秘密の、隠れた
白人やメスティーソが支配層を構成する表の社会、首都ラパスの世界に対し、人口の多数を占めながら疎外され、隠され、主流となみなされない先住民たちのもう一つの世界を表現しているのだろう。
あたかもボリビアの中に二つの国が存在しているかのように。
主人公セバスティアンも、先住民の苗字を捨てて自らのうちに差別意識を育み、二つの世界の間の葛藤に苦しむことになるのだが、これは現在まで続く先住民の若者たちの普遍的な問題なのだろうと感じる。
映画では、軍事クーデター、鉱山労働者の蜂起、政権側による暗殺、農民たちの抵抗、アメリカの介入などなど、当時のボリビアの社会状況も伏線として描かれ、それらがセバスティアンの人生をちょっとずつ狂わせていく。
一方、セバスティアンが村で暮らすシーンでは、結婚、葬儀、村の集会、コカ占い、牛を使った種まきなど、アンデス地域の伝統的な風習が見られるのが貴重だ。
見る前は「コンドルの血」のような社会派要素が強い告発系映画かと思っていたが、どちらかというと芸術要素が強い作品で、踊りと音楽の美しさに魅了された。
👇公式トレーラー
次回は「30年後 -ふたりのボリビア兵-」と「ウカマウ」の感想を書きたいと思います。