メキシコシティの最大の見どころの一つ、国立人類学博物館。
「太陽の石(アステカカレンダー)」が有名だが、オルメカ、マヤ、テオティワカンなど、各文明の超貴重な考古学品がずらりと並んでいて圧倒される。
メキシコ国立人類学博物館の門番
そんな中、「太陽の石」より巨大で、興味深い歴史を持つのに意外と知られていない展示を紹介したい。
それが、通称「トラロック」と呼ばれる高さ7メートルの一枚岩の石彫だ。
国立人類学博物館の敷地の入り口に門番のようにそびえ立っている。

雨・水の神なので周りに池が配置されている


博物館開館に合わせ大移動プロジェクトが始まる
「トラロック」の像は1964年に国立人類学博物館が開館する際、入り口に飾るシンボルとするため、50キロ離れた村から運ばれてきた。
その大移動は国家的事業となり当時大きな注目を集めたのだが、いろんな予期せぬことが起こり劇場型のプロジェクトとなった。とても面白いので詳しく見てみたい。
本当にトラロック?
そもそもトラロックとは、メソアメリカ文明(メキシコ+中米)の雨の神で、少なくとも2000年ほど前から信仰されてきた最重要神の一つだ。
上記の巨大石彫は、メキシコでも「トラロック」と呼ばれ親しまれているものの、実はトラロックの妻の「チャルチウトリクエ」という水の神だとする説の方が有力だ。
だがあまりにもトラロックという呼称が定着しているため、ここでは引用符を付けて”トラロック”と呼ぶことにしたいと思う。


村人の崇拝と抗議行動
”トラロック”の巨大石彫が見つかったのは、1880年前後のこと。
メキシコ州のコアトリンチャンという小さな村だ。

(メキシコ国立人類学歴史学研究所の資料より)
言い伝えでは、16世紀のスペイン人の征服の際、村人たちが破壊を恐れて埋めて隠したとされている。
19世紀に再発見されて以降、”トラロック”は村人たちに崇拝されてきた。
だが1964年に国立人類学博物館が開館するのに合わせメキシコシティに運ばれることが決まると、村人たちは大反対。数か月にわたる抗議行動を起こす。
コアトリンチャンの住民たちの一部は怒りを表し、自分たちの土地からの略奪とみなして、抗議活動を行うことを決意した。彼らは、石彫の移送に使われる予定だった2台の大型トラックのタイヤに穴を開けたり、ガソリンタンクに土を入れたりといった妨害行動に出たのである。
Marco A. Villa「コアトリンチャンの石彫」より
これに対しメキシコ政府は軍と警察を派遣して抗議行動を鎮圧。
”トラロック”を運び出す作業に移った。

(ソウマヤ美術館Plaza Loreto館の展示より)
難航した運搬作業
だが石彫は重さ167トンもあり、搬出は容易ではない。
建築家や考古学者たちが知恵を出し合いながら、深さ3m以上の穴を掘り、バランスをとりながら300本以上のワイヤーで吊り上げる。

そして長さ24メートル、タイヤが64個も付いた特殊な運搬車両に乗せ、2台のトラクターが引っ張って運ぶこととなった。


運搬時の貴重な動画
運搬の詳しい様子はメキシコ国立人類学博物館が公開している👇こちらの動画👇にまとめられているので、ぜひ見てほしい。
いかに困難な作業だったかがよくわかるし、搬出を見守る村人たちの悲しい表情も印象的だ。
だが何より、古代の巨大な神が現代世界を運搬されているの姿が何とも言えずわくわくする。
僕は古代メキシコ関係の動画をよく見るのだが、これは一番好きな動画かもしれない。
季節外れの大雨
”トラロック”がメキシコシティに入った1964年4月16日、奇妙なことが起きた。
天気予報では晴れのはずだったのに、季節外れの豪雨が降り始めたのだ。
雨は1時間半にわたって降り続き、排水の悪いメキシコシティの街を水浸しにした。
新聞各紙は「雨の神トラロックが豪雨を降らせた」と報じたらしい。

トラロックがソカロを通過
古代メキシコの神”トラロック”がソカロ(メキシコシティの中央広場)を横切るシーンは印象的だ。
ここはかつてアステカ王国の首都テノチティトランがあった場所であり、16世紀にスペイン人に破壊され、キリスト教の大聖堂や宮殿が建てられた場所だからだ。
破壊から400年以上が経ち、”トラロック”はどんな思いでここを通り過ぎたのだろうか。

この移動を見るため、夜中にもかかわらず6万人もの市民が沿道に訪れたそうだ。
その後、”トラロック”は無事に博物館のあるチャプルテペック公園に到着し、博物館は開館を迎えた。
大移動から61年経った今も、この巨大石彫は博物館の敷地入口に鎮座している。
ちなみに、像の下にはこんな説明書きのプレートが作られた。
この石彫はメキシコ州コアトリンチャン村で発見された。その住民たちは1964年、寛容なことに博物館にこれを寄贈した。
現在も続く住民からの返還要求
2007年、メキシコ州政府はもともと”トラロック”像があったコアトリンチャン村に原寸大レプリカを設置した。
だが住民たちは今も現物の返還を求める運動を続けている。
そもそも像は村の同意なく強制的に持ち去られた上、自分たちのアイデンティティーを冒涜する行為だったとして告発しているのだ。
さらに興味深いことに、雨の神”トラロック”が村からいなくなってから、降雨量が激減し、水不足に苦しむようになったという。
これまでのところ、博物館側(国側)が住民の要求に応じる気配はない。
👆”トラロック”の返還運動を進める住民たちのインタビュー。後ろに見えているのが州政府が設置したレプリカ。
もちろん、首都の博物館に安置されていた方が大勢の市民や観光客が見学できるという利点はある。
だが同意もなく強制的に像を持ち去られた村側の要求も正当なものだと思う。
この「大移動」が1964年ではなく現在行われるとしたら、きっとSNSで炎上して持ち去ることは不可能だっただろう。
海外のケースでは、イギリスの大英博物館に対し、イースター島の住民たちがモアイ像の返還を求めている事例がよく知られている。
”トラロック”はメキシコ国内の議論ではあるけれど、博物館の倫理として、過去にちゃんとした同意なく収蔵したものを現在どれくらい保持し続ける権利があるのか、考えさせられる問題を含んでいると思う。
メキシコ国立人類学博物館を訪れた際は、ぜひ”トラロック”の像を見て、その複雑な歴史に思いを馳せてみてください!
メキシコ国立人類学博物館への行き方
①地下鉄 7番線 Auditorio駅下車 徒歩10分
地下鉄 1番線 Chapultepec駅下車 徒歩15分
②メトロブス 7番線 Museo de Antropología駅下車 徒歩1分
https://maps.app.goo.gl/btGrY52PoAZush8G7
👆メキシコ国立人類学博物館”トラロック”の設置場所