2月下旬〜3月上旬はリオのカーニバルの季節だ。
毎年、この時期にニュースでカーニバルの様子を見ると、強盗に襲われたときのことを思い出す。
5年前、妻の仕事の関係で僕はペルーに住んでいた。
ブラジルにカーニバルをに見に行こうとしたのは、まだ新型コロナの大流行が迫り来る直前、2020年の2月だった。

感動的なカーニバルの光景
リオデジャネイロには8日間滞在する予定で出発。
カーニバルの盛り上がりが最高潮となるラスト2日間にサンバ会場のチケットを買って参加したが、人生でもベスト5には入る感動的な光景だった。
パレードは夜通し行われ、大音量のサンバ音楽の中にずっといると、宗教的な恍惚感のようなものが訪れてくる。
5年が経った今でもパレードの美しい光景とそのときに聞いたリズムが脳裏に甦ってくるほどだ。


カーニバル後の不穏な空気
強盗に襲われたのはサンバが終わってから2日後のことだ。
僕たちはこの日に8日間のリオデジャネイロ滞在を終え、ペルーに帰ろうとしていた。
午前中、空港に向かうまでに1時間ほど暇な時間があったので、僕たちは『地球の歩き方』にも載っている「セラロン階段」という映えスポットに行くことにした。
ホテルからセラロン階段までは歩いて15分ほどなので、徒歩で向かうことにした。

今考えれば、ホテルの周辺はそれほど治安がいいわけではなかった。
特にこの日は街に出るとちょっと異様な雰囲気だった。
カーニバルが終わり、その余韻が収まらない中、大勢の人々が路上で酒を飲んでいる。
上半身裸の男たちもたくさんいる。

セラロン階段に向かう途中、僕と妻が道を歩いていると、男たちの集団に「コロナウイルス!」と罵声を浴びせられた。
このときは(2020年2月)、ちょうど日本のダイヤモンドプリンセス号の感染がニュースになっていた頃だ。
ブラジルで一人目の感染者が確認され(2月26日)、ブラジルのテレビもコロナ一色となっていたのだ。
男二人組につけられていた
不穏な空気を感じながらも僕たちはそのまま「セラロン階段」に進もうとした。
だが、どんちゃん騒ぎをしている集団に出くわしてしまい、道が通れない。
少し引き返し、1本横にずれた道から行くことにした。

その道を少し進むと、人通りがほとんどない通りだということに気付いた。
これはやばそうな雰囲気だと思い、引き返そうとしたその瞬間、隣にいた妻が叫んだのに気付いた。
突然男が襲いかかってきたのだ。
強盗だとわかり妻を助けようとした瞬間、僕も背後から別の男に殴られた。
僕も妻も、殴る蹴るの暴行を受けた。
抵抗するのが一番危ないというのを思い出し、リュックを差し出した。
妻もショルダーバッグを差し出すと、男二人は走って逃げていった。
地面に倒れていた妻を起こし、二人とも呆然としつつもホテルに歩いて戻ることにした。
妻に聞くと、男は最初「How much?」と妻に話しかけてきたらしい。
「いくらなら出せる?」という脅し文句だったのだろうか。
妻が叫び声をあげると、殴りかかってきたそうだ。
あの犯人二人はきっと、僕たちが人通りの少ない通りに入るのを後ろからつけていたのだろう。
帰り道、リュックを失い手ぶらで歩く我々を、ブラジル人たちは冷ややかな目で見つめ、あるいは「かわいそうだね~」という薄ら笑いを浮かべ、全員が共犯であるかのような錯覚を受けた。
大変だった事後処理
ホテルに戻ってからは非常に忙しい一日を過ごした。
警察、日本領事館、妻の会社、クレジットカード会社など、さまざまな場所に電話をした。
妻はスマホを盗られたが、僕は幸いなことにポケットにスマホが残っていたので、なんとか各所と連絡がとれた。
逆に僕はパスポートを盗られてしまい、大きな痛手となった。
普段、外出するときにパスポートは携帯していないのだが、このときは直後に空港に向かう予定だったので、不用心にもリュックに入れてしまっていたのだ。
この日はペルーに帰るのを諦めざるを得なかった。
ホテルをチェックアウトし、治安の良いコパカバーナ地区に新たなホテルをとった。
ホテル代や新しい航空券代など、30万円分くらいの出費となった。

警察署では他の被害者たちも
襲われた日の夜、警察署に行った。
警察署にはすでに大勢の人が、特に外国人旅行者たちが詰めかけていて、あれを盗まれた、これを盗まれたと必死に訴えていた。
中にはすべての持ち物を盗まれ、靴さえはいていない欧米人の旅行者もいた。
まるで戦場のような警察署で僕たちも被害を英語やスペイン語で訴え、なんとか2〜3時間かけて被害証明書を発行してもらうことができた。
ホテルに帰ると本当にぐったりしていた。
翌日は日本領事館に行ってパスポート再発行の手続きを行なった。
パスポートには戸籍謄本が必要なのだが、実家の母親に東京まで出てもらって取得してもらうという、なんとも申し訳ないことをした。
領事館の担当者の方は非常に親切で、疲れた心にはその気遣いが非常にありがたかった。
領事館の人でさえリオデジャネイロでは襲われる危険があるらしく、常に犯人に渡す用の現金をポケットに用意していると言っていた。
3日後には無事に新しいパスポートを入手でき、ペルーに帰国することができた。
何度かあった前兆
強盗に襲われる前、何度か前兆があったのだが、それに気付いて強盗を防ぐことができなかったのが心残りだ。
1週間のリオ滞在中、すれ違いざまに5~6回「コロナウイルス!」と罵られることがあった。
前述したように2020年2月はコロナウイルスが中国から世界へ拡大し始めた時期だったのに加え、もともとの根深いアジア人差別もあったのだろう。
道行く人の敵対的な眼差しを感じながらの旅行であった。
そして一度、男性が僕を罵りながらポケットに手を入れてスマホを盗もうとしてきたこともあった。
手を振り払うと男は走って逃げて行った。
このように、けっこうやばい前兆があったにもかかわらず、僕たちはちょっとスペイン語がしゃべれるという自負があったり(ブラジルはポルトガル語だが、スペイン語もある程度通じる)、南米旅行に慣れてきたという感覚もあって、そのまま旅行を継続してしまった。
慢心の中で、襲われるべくして襲われたというべきだろうか。
不幸中の幸い
強盗に襲われたことは心理的ショックが大きく、金銭的にも大ダメージだったわけだが、それでも二人とも命があり、身体が無事だったのは本当によかった。
妻は倒された際に腕に多少傷を負ってしまったが、大事にはいたらなかった。
もし仮に犯人に抵抗して、ナイフや銃で攻撃されてしまったら、一生体と心に深刻な傷を負っていたことだろう。
(今回、犯人たちが凶器を持っていたのかはわからない。)
この強盗事件から5年が経つ。
その後、中南米を何度も行き来しながら(泥棒には何度か遭ったものの)強盗に襲われていないのはラッキーだというべきだろう。
今後も慢心だけはせず、常に自分が襲われる対象となるかもしれないと思い、安全を第一に旅行をしたい。
👇セラロン階段。この周辺で強盗に襲われた。
https://maps.app.goo.gl/uNsHGpzmMf8RWUxa8
👇リオデジャネイロ大聖堂。当時泊まっていたホテルはこの近辺だった。
https://maps.app.goo.gl/ZFdFhYnLbfMSDbubA

